index_logo
index_visit
Key For The Bible
Now On Sale
australia israel usa canada uk&europe south africa puerto rico australia
israel usa canada uk&europe south africa brazil puerto rico australia ukraine
PAGE
1
 


BFP編集部 1999年6月

 「神の火(ティーチングレター'99年3月発行)」では、信じ難い祝福、あるいは焼き尽くす火となる、特異な性格をもつ「神の火」について学びました。私たちの心の状態によって、この火は良い働きも、悪い働きもします。心正しい人にとっては、生活の中の汚れや罪を焼き払う、神の力・聖めの火となります。不正な心を持ち、主に対して反逆的であれば、同じ火によって焼き滅ぼされるでしょう。

 同様に、聖書全体に渡って書かれている「神の水」も、似た働きをします。ある場合は、いのちの水である聖霊であり、暑くほこりっぽい荒地における冷たく、沸々と湧きあがる泉のような、心地よい元気を回復させる水になります。また、この水は、神の祝福の中へ踏み込んで行くために「通過しなければならない障害物」、あるいは「テスト」として用いられます。すなわち、紅海やヨルダン川、水のバプテスマを超えることです。神の火がそうであったように、神の水もきよめを成すものです。

 聖書の象徴には、多くの霊的適用があります。この適用を十分に理解するためには、聖書から、この大切ないのち(水)を与える資源について学ぶ必要があります。

◆水の大切さ
 生命を維持するために、水は欠かせません。それで人間は水が簡単に手に入るところ、雨が定期的に豊かに降る所で生活しようとします。特に辺境地に生きる人々にとっては、水は命にかかわる重大問題であり、地下から汲み上げるか、他の地域から導水しなければなりません。さもなければ、そこに住む人はいなくなります。水なしにはいのちが存続しないからです。

 聖書の地・イスラエルは、こうした辺境の地域にある国のひとつです。ですから、いつも水が争いのひとつとなっていました。出エジプト記2章16節でモーセは、リュウエルの娘を助けました。彼女は他の羊飼いによって、井戸から追い払われるところでした。また創世記26章19−21節では、イサクに与えられた神の祝福を欲したアビメレクによって、井戸から井戸へ追われるイサクを見ます。今日においても、水の需要が中東の大きな争いとなることが予告されています。

 聖書におけるイスラエルでは、水はただ水道の蛇口が取られるような単純なことではありませんでした。人々は水どんなに貴重なものであるかを痛感し、感謝していました。ほとんどの場合、出かけて行って近くの水源地から水を運んで来なければなりませんでした。通常水を運ぶのは、家にいる若い未婚の女性でした(創世紀24:11、第1サムエル9:11)。そのため、しばしば水場が妻を見つけ出す場所となりました。すなわち、イサクの妻リベカは井戸で見出され(創24:12)、ヤコブも同じようにラケルに会いました(創世記29:9−11)。モーセはミディアンの井戸で、将来妻となるチッポラに出会いました(出エジプト2:15−21)。昼間用の水は、早朝の涼しい頃に、夕方用の水は午後遅くに汲み上げられました。真昼に水を汲むものは、のけ者とみなされました。井戸端でイエシュア(イエス)に出会ったサマリヤの女がそうです(ヨハネ4)。イスラエルの村村では、今でも婦人たちが水を集めている姿を見かけます。しかし、彼女たちが手にしているのは、絵画的な陶器の壷ではなく、プラスティックの缶です。

 
 
 
B.F.P.Japan MAP