聖書信仰者として、強制的に見えることも、耳に響くことも、この世と調子を合わせるわけにはいきません。これは偽りの人間的「平和」をもたらそうとする、イスラエル人のエルサレムに主権に抗するこの世の主張も含みます。
イスラエルもまた、平和が来ないのに平和を約束する、この世の計画に追従し、説得されないよう、ことばの信仰に立つ必要があります。イスラエルは、パレスチナ当局に対して、既に聖書の約束・イスラエルの入り口で、エリコやアコルの谷(希望の谷)、ヨシュアがイスラエル部族に分割したシェケム(ナブルス)、イエシュアの降誕の地ベツレヘム、イスラエルの族長であった父や母を葬り、ダビデによるイスラエルの最初の首都であったヘブロンを手渡しています。
詩篇83篇4-6節に、諸国民がイスラエルの地を奪いにやってくるとあります。「彼らは言っています。『さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。』
彼らは心を一つにして悪だくみをし、あなたに逆らって、契約を結んでいます。それは、エドムの天幕の者たちとイシュマエル人、モアブとハガル人、ゲバルとアモン、それにアマレク、ツロの住民といっしょにペリシテもです。」 しかし、イスラエルがどのような圧力に直面しても、ただ強く立ちさえするなら、それに応じて神はイスラエルを擁護してくださいます。
多くの諸国が、エルサレムの神の御座をさん奪し、自らのメッセージをシオンから発したい願っています。しかし、イザヤは言います。「それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:3)
3:エルサレムは神の活動の根拠地である。
エルサレムは、神のご臨在が宿る、宮がある場所でした。みことば、「聖書」はシオンから出ました。聖書66巻のうち、64巻がユダヤ人によって書かれました。私たちの救いは、イエシュアが死んでよみがえられた、エルサレムでなし遂げられました。そして、エルサレムに主は戻って来られます。エルサレムは、地上で唯一、最も大切な神の都です。神はすべての人々、すべての国々を愛し、その救いを願われますが、イスラエルとエルサレムは、最初の愛が注がれた場所です。
主は戻って来られます。「主はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう』」(ゼカ8:3)。ときが満ちて、イエシュアがいらっしゃることによってのみ、真の平和が広がります。
詩篇102篇21-22節は、諸国民がエルサレムに来て主を礼拝すると宣言しています。「人々が、主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。また、国々の民や、王国が共に集められるとき、主に仕えるために。」 ゼカリヤ14章16節は言います。「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」すっかり回復したエルサレムは、サタンにとって脅威です。それゆえ、エルサレムにある神のご計画を破壊するべく、霊的領域ですべての栓が引き抜かれ、物理的領域でにあらわれています。
4) エルサレムはきたるべきさばきを思い出させる。
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