3:主を礼拝しなければなりません。ヘブル語では、礼拝(avodah)という言葉は、「働く」という意味と同じです。つまり、主を礼拝することは、「何かをすること」を包含しており、単に礼拝に行くことを示しているのではありません。日々の生活において、主の栄誉と栄光にどう仕え、どう生きるかを意味しています。
- 詩篇2:11―「恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。」 喜びや歓喜でさえ、神の厳かな畏れを認識することと釣り合いが取れていることとバランスが取れていなければなりません。(口語・新改:恐れ/新共同:畏れ敬って/フランシスコ:おそれ/文語:畏)
- ヘブル書12章28-29節「…恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。」(口語・新改:恐れ/新共同・フランシスコ:畏れ/文語:畏懼)
- 黙示録14章7節「神を恐れ、神をあがめよ。…」(口語:おそれ/新改:恐れ/新共同・フランシスコ・文語:畏れ)
- 黙示録19章5節「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」(口語:おそれる/新改:恐れかしこむ/新共同:畏れ/フランシスコ:畏れ敬う/文語:畏れ)
◆主を畏れ・恐れる者への恩恵と約束
私たちが命じられている、神への尊敬を込めた恐れには、大きな祝福と約束が伴っています。
この命令を守る者に対して、神が報いてくださることの一覧表を見るなら、神を礼拝して生きることを追い求めないほうが不思議です。
神は私たちを祝福したいのです。ありとあらゆる命の祝福を与え、豊な交わりのために人をお造りになりましたが、罪が私たちを主から離してしまったのです(創世記3)。それでも、神は憐れみによって親しい関係を持ち、様々な方法で愛を示したいと望んでおられます。神の人生に対するご計画を受け入れ、主を尊崇することにより、双方を祝福する「与えそして受ける」関係を確立するのです。
尊敬してうやうやしい恐れを表すとき、どのような結果がもたらされるのか?
救い:
- 詩篇85篇9節「まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。…」(口語・新改:恐れる/新共同:畏れる/文語:おそるる)
- 使徒行伝13章26節「神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。」(口語:敬う/新改:恐れかしこむ/新共同:畏れ/フランシスコ:畏れ敬う/文語:畏れ)
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