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 これで明らかになったように、聖書における「畏れ・恐れ」の概念には、「尊敬してうやうやしく畏れる」と「怖くて恐れる」という異なった二つの意味があります。 神を「恐れよ」という命令は、神を尊敬してうやうやしく恐れよと言っているのであって、不安で怖がったり恐怖を覚えたりせよと言っているのではありません。

  レビ記19章3節に見られる「yare」の使われ方の例に目を留めてみましょう。「おのおの、自分の母と父とを恐れなければならない」(口語:おそれ/新改:恐れ/新共同:敬い・文語・畏れ)。ここで使われているヘブル語の命令も、両親を尊敬し敬意を払いなさいということであり、不安で怖がったり、恐怖に駆られなさいということではありません。聖書において、尊敬してうやうやしく恐れよという使い方は、神と両親について述べるときにのみ使われています。これは、「主の教育と訓戒によって」(エペソ6:4)子どもを育てる両親の行動は、神との共同作業である事実を示しています。

 ギリシャ語で書かれた新約聖書にも、主への恐れのヘブル的概念がとらえられています。ペテロがしなさいと言っている宗教的尊敬と畏敬、そしてヨハネが避けなさいといっている、警戒や怯え、極度の恐れ、恐怖などを伝えています。神を尊敬せずむしろ憎む者たちの心に、恐れや恐怖を浸透させることが、神にはおできになります。ヘブル聖書(旧約聖書)、新約聖書とも、この点を非常に明確に表現しています。しかし、神を尊敬する子どもたちまで、そのような感情を持つことを望んでおられません。

◆正確には、神は何をせよと命令しておられるのか
 神を恐れ敬うことと、神を愛することにはつながりがあります。これは硬貨の裏と表です。「尊敬してうやうやしく恐れる」という動詞は、心で思う以上のことです。それは神の御旨に積極的に従うことによる、忠誠心によって外側に現れてきます。

  モーセは語りました。「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」(申命記10:12、13)

 イェシュア(イエス)もこう言われました。「もしわたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい」(ヨハネ14:15/英語直訳)。神の御言葉を守り、正義の道を歩むことは、神との関係を証明するものであり、単なる言葉や「口先だけのお世辞」などではありません。実際行動によって示すことです。

  現代のキリスト信仰では、しばしば「信仰と教義」が強調されますが、ユダヤ教では「実践」が強調されています。あなたの行動が、あなたの信仰を現すのです。新約聖書にも「その実によって知るであろう」 と書かれています。ヤコブは遙かに簡潔に書いています。「信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです」(ヤコブ2:17)。確かにクリスチャンは「信仰によって救われたのです。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8-9)。しかし、ヤコブは注意を促しています。「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう」(ヤコブ2:14)。行動が信仰の真価を証明します。非常にヘブル的概念ですが、今日の教会にはこれがしばしば失われてしまっているのです。

 

 
 
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