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 聖書全体をとおして、「主をおそれ/恐れなさい(fear)」と命令されています。しかし、第一ヨハネ4章では、「神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます」(16節)、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」と言っています。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものになっていません(18節)。

 大きな疑問はここにあります。どうすれば主を恐れ(fear)、同時に恐れない(not fear)ことができるのでしょう。ペテロは「神を恐れなさい」(口語:おそれ/新改:恐れ/新共同・フランシスコ・文語:畏れ)(・ペテロ2:17)と言ます。また、ヨハネは恐れは、愛である神との関係が、不完全であることを現していると語ります。

 聖書は矛盾をはらんでいるのでしょうか。

 一見そのように見えます。しかし詳細に検討してみると、問題は翻訳であることに気がつきます。聖書にある「畏れ/恐れ(fear)」という言葉は、ヘブル語では異なった8つの言葉、ギリシャ語では異なった6つの言葉の訳語です。新約聖書における「愛(love)」という単語が、微妙に異なった4つのギリシャ語から訳されたことは、大抵の人が知っています。「畏れ/恐れ」もまた、多くの微妙に異なった意味を持った言葉なのです。

 英語は非常に単語数の豊富な言語ですが、それでも翻訳によって、間違った意味を伝えてしまうことがあります。大変優れた翻訳である、欽定訳(King James Version)を好んで読む人々にとっては、特にそうです。400年前の英単語は、今日とは異なった強調がなされ、異なった意味を持っています。ですから、聖書のヘブル語が訳も、同様の意味を持って維持されているとは限りません。幸い、多くの新翻訳聖書では、尊敬してうやうやしく恐れる(fear-revere)と、怖くて恐れる(fear-dread)の相違を表現しているので、より明確に聖書を読めるようになりました。

◆聖書にある「畏れ・恐れ」の意味
 聖句の意味を理解しようとするとき、ヘブル語とギリシャ語の原典に戻るのは大変良いことです。
「主を恐れる」(ヘブル語では、Yirat HaShem)という概念は、聖書に何百回となく出てきます。「恐れる」と翻訳されているヘブル語の動詞、yare は、正確には「尊敬する」あるいは「尊敬」の意味が込められています。

 ウェブスター辞書では、尊敬を「深遠な憧憬的、畏怖を伴った尊敬・敬意・崇敬・献身」と定義しています。これこそyareというヘブル語の意味に遙かに近いものです。興味深いのは、ウェブスター辞書は、「畏れる・恐れる(to fear)」という動詞の古典的な意味は、「(神に対して抱くような)うやうやしい畏怖を持つこと」と教えています。なぜか現代日常語として使われている畏れ・恐れからは、古典的な意味が失われてしまい、聖書の意図する概念を誤解するにいたりました。

 「恐れ」という言葉のより現代的定義は、次にあげるヘブル語単語に近いもので、聖書でも同様に、恐れと訳されています。「ai-mah」-怖い・恐れ・戦慄・嫌悪・恐るべき恐怖。「goor」-見知らない土地で感じる畏縮、または恐れ。「charada」-極度の心配・恐れ・戦慄・震え・怯え・恐れ・恐怖。「mora」-恐るべきこと・恐怖・身震いする恐れ・震え。これらの次に、「恐れ」としてよく使われているヘブル語単語は、「pachad」-仰天する・突然の警戒心・不安で怖がる・震えさせる・警戒させる・怖がる・恐怖などです。

 
 
 
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