神はアモス書4書11〜12節で、多くの者が神のもとから離れ去り、悲しむイスラエルに、こう語られます。「わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。…主の御告げ。…それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」
私たちもまた、火のような神のさばきから引き出されたものです。しかし、私たちの多くのものがなまぬるいのです。イスラエルのように、神に会う備えをしているでしょうか。もし神がたった今、戸から入って来られたなら、神の目を火の中で見つめる備えがあるでしょうか。あるいは、私たちの生活を、私たちの思想生活を支配しているひそかな罪や、不徳を悔い改める必要があるのでしょうか。
めいめいが、神に会う備えをする必要があると私は考えます。これは力に関してのものではなく、聖潔をもたらす聖別をとおして主に会う準備をするということです。クリスチャンにとって、イエシュアは救い主であり、主であり、そして洗礼者です。主と会見の約束する備えができていますか。今すぐにも主に会う備えがありますか。アモスは、あなたの神と会う備えをせよと言っています。私たちは、どんなときにも主に会う備えをしておく必要があります。
各自、神が神の火を私たちのうちに照らしてくださるよう、そして神が与えて下さる熱心と情熱と力を受け取りましょう。主に対する信仰をもてあそぶには、時間があまりにも短すぎます。私たちは毎日、そして全ての道で、聖なるものとなり、主に服従するため、真剣に献身をする必要があります。主の火はまもなくやってきます。10人のおとめを思い出てください。5人は備えがなく、5人はランプに火がありました。ランプに火がある者だけが婚宴に加わることができるのです。この物語は、次の命令で結んでいます。「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」(マタイ25:13)。
私たちが、備えのある者と認められますように。
エルサレムからシャローム |