- 救い
第一に、もし私たちが何もしなければ、神によって罰を受け、地獄の火の中で終わります。この状況にある人は、父に走りこみ、赦され、永遠に神から遠ざけられる場所から救われる必要があります。救いは神の無代価の賜物であり、主の御名を呼び求め、十字架上で提供された贖いの犠牲を受け入れるとき、すべてのものが入手できます。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず…」(ローマ3:23)。
- きよさ
ひとたび救いを受けたなら、第二段階の神の火によってきよめられます。私たちはみな、自分の生活に肉的な領域をもっています。そこに神の火が来て、神からではないものを焼き尽くします。思い煩い・肉欲・恐れ・そして私たちを神から退けさせるがらくたといったものです。ほとんどの人が、訪れる罪と格闘していますが、それを征服することはできません。神の火に焼き尽くしていただくしかありません。罪との格闘がそれを立ち去らせはしません。神だけがそれを除去することができ、私たちは神に仕えることができるようになるのです。
- 力
神の火の第三段階は、みことばの中で約束されているように、神の国のわざを遂行するために、力を受けることです。しかし、私たちに欠けているものこそ、内側に信仰を達成する力です。これは、神のわざを成し遂げるための力です。聖書に見るように、もし神がご自身の究極の栄光のために、事を成そうと決心されるなら、私たちを用いて病人を癒し・悪霊を追い出し・盲人を見させ・死人をよみがえらせることさえおできになります。しかし、これをするためには力が必要です。私たちはこの力を用いることができますし、神の力を要請することもできますが、神ご自身に命令することはできません。人はこの本末転倒の間違いを犯しました。人々は、聖霊が私たちの個人的なお供のように、聖霊に命令しようとしています。聖霊様に「これをしてくださいとか、聖霊様これをください」というのを聞きます。これは全く道を踏み外したことです。私たちが語りかけているのは、全能の神であられるのですから。私たちは聖霊に服従し・侍り・仕える必要があります。聖霊が導き、聖霊のご意志のとおり賜物が分与されるのです。神の完全な意志を、力をもってなすために、聖霊に導びいていただく必要があります。
- 主に対する情熱的な愛
第四段階は、私たちがみな達したいと願っている段階です。そうです。私たちは罰から抜け出して、きよさの中に入りたいです。そして神の力を経験したいのです。しかしこれ以上に、神の火が内側に点火し、神に対する情熱が燃えるように願っています。私たちは毎日、どんな大きなことを主のためにできるかを見たくて、朝が待ち遠しいほどの神への情熱が必要です。神を欲し、神を愛し、主のためにできることは何でもしたいと切望する必要があります。
神の火が屋上にいた弟子たちの中に入ったとき、神の力と神の情熱とを受けたのを見ます。使徒行伝で、主を三度否定したペテロが、聖なる大胆さをもって神の国を公布し、彼の影が人々の上にかかったとき、人々が神の力によって癒されたことが記されています(使徒5:15)。
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