彼は“バプテスマ”について三つの句があると示唆しました。水のバプテスマ・聖霊のバプテスマ・火のバプテスマです。これは、父、子、聖霊が三神ではないように、別々の三つのバプテスマがあることを示しているのではありません。神は、三人格がひとつとして表され、ただひとりの神であるように、バプテスマもひとつで、三つの区別された要素をもっています。
- 最初は水のバプテスマです。罪を悔い改め、イエシュアを救い主として受け入れたとき、私たちは水のバプテスマを受けるように教えられています。歴史的には、これは救いと告白の行動の直後になされるのがほとんどでした。ユダヤ人のミクヴァ(清め)の習慣に似て、水に浸され・象徴的に洗われ・罪が赦され・罪責からきよめられます。シグモント・フロイドは、「人間の心理的問題は、みな一つの源泉−罪責からくる」と言いました。しかし、彼は問題を明らかにしただけで、それを除去する道は分かりませんでした。私たちに新しいいのちを与え、罪を赦してくださるイエシュアの血によってのみ、人間は真に罪責から自由にされます。
- 主ご自身から来るバプテスマの第二過程は、イエシュアが心の中に入り、神の御霊が私たちのうちに住まわれることです。まず、私たちの霊が再生し、それから神の御霊が外側から私たちの内側へと来て住まわれます。これが聖霊のバプテスマです。第1コリント3章16節は言います。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」第1コリント6章19節でパウロは言いました。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」
- 最後にマタイ3章11節に、バプテスマの第三過程の表れを見ますが、これが火のバプテスマです。以下で学ぶように、このバプテスマは主との歩みによって前進します。今回の教えの主題が火ですから、火のバプテスマについてもう少し時間をとりましょう。
火のバプテスマとは何でしょうか。使徒行伝1章8節でイエシュアは、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と言われました。
勝利の生活のために、私たちには神の力が必要です。日々私たちをおとしめようとする、肉の欲・目の欲・生活の誇りから立ち去るために、神の力が必要です。「聖霊が臨むとき、私たちは力を受ける」と語られたのは、私たちがイエシュアの足跡を歩み、主の弟子のように生きるためでした。
火のバプテスマが来るとき、この力は何に似ているでしょうか。イエシュアは、聖霊が私たちの上に来る……と言いました。聖霊、それから力です。へブル語の「霊」とはどんな言葉でしょうか。それはルアフであり、風も意味します。
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