index_logo
index_visit
Key For The Bible
Now On Sale
australia israel usa canada uk&europe south africa puerto rico australia
israel usa canada uk&europe south africa brazil puerto rico australia ukraine
PAGE
1
2
3
4
5
6
7
8
9
 


 イスラエルの神こそ唯一の真の神であることを証明するために、エリヤはバアルの全預言者の眼前で、カルメル山上に祭壇を準備しました。バアルの預言者もまた、祭壇と捧げ物を用意し、答えを得ようと、自分たちの身を切り刻むことさえしました。しかし、何も起こりませんでした。その後、エリヤは祭壇に近づき、犠牲を供え、その上に水をかけました。そして、神にご自身をイスラエルの民とバアルの預言者たちに示してくださるように、信仰の祈りを捧げました。「すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。民はみな、これを見て、ひれ伏し、『主こそ神です。主こそ神です。』と言った」(第1列王記18:38-39)。

 こうした神の火に対する民の応答は、全てへりくだりと悔い改めと聖別でした。

 火によって聖別されるとはどういうことなのか、イザヤは良く知っていました。イザヤ書6章では、主の祝福を受けるために、御前でへりくだり、聖別するよう駆り立てる物語を読むことができます。また、霊において、イザヤが主の王座に連れて来られたのを私たちは覚えています。イザヤが見た神々しさは、彼を圧倒しました。最大の預言者の一人であったイザヤも、神の御前でただ卑しさと悔い改めの必要を感じるだけでした。彼は言いました。「そこで、私は言った。『ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。』 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。 彼は、私の口に触れて言った。『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』 私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」(イザヤ6:5-8)

 主の臨在に対するイザヤの反応はどうだったでしょうか。へりくだりと自分自身及びイスラエルの民の悔い改めでした。

 最終的に、地上の全ての人々が神の火に直面します。クリスチャン・ユダヤ人・ヒンズー教徒・ヒューマニスト・無神論者など、全ての人を含みます。預言者マラキは、神の火が主の到来に備え、地をきよめる精錬の火としてやって来ることを語っています。主を待望している人々には、銀や金が精錬されるように、神の火が不純物を焼き去るでしょう(マラキ3:2)。選択は私たちにゆだねられています。聖化を求める信者にとって、神の火はより純粋に、より聖くするために来るのです。

◆滅びの火
 一方、主から離れ罪の中にいる人々は、神の火が現れたとき、その人を変えるか、さもなければ焼き尽くすでしょう。

 「変わるか焼かれるか(turn or burn)」という句は、人々を地獄から引き出し、天国に入れるために用いられるだけではなく、聖書全体に見られる概念です。エレミヤは、神が彼をとおして語られたことを、非常に明瞭にしました。「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう」(エレミヤ4:4)。

 
 
B.F.P.Japan MAP