
神の臨在は、聖別を要求します。宿営の中で、罪は赦されませんでした。しかし、罪が犯されたとき、神は罪に対する犠牲の備えをしてくださいました。罪だけではなく、それは主との交わりのためでもありました。興味深いことに、神が民に望まれた捧げ物の一つは、「火によるささげ物」で、この香りが主に喜ばれました。「主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。『イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。』」「……祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」(レビ記1:1-2、9b)
時に、神の火そのものが天から下り、犠牲を焼き尽くすことさえありました。
アブラハムが主との契約を結んだとき、聖書はこう言っています。「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの(犠牲の動物の)切り裂かれたものの間を通り過ぎた」(創世記15:17)。火は神の臨在と、アブラハムの間に結ばれた契約の重大さを示しています。その日に結ばれた契約は、今も有効です。
エルサレムにあるアルナワの麦打ち場(今日の宮の山)を買ったとき、ダビデは祭壇を築き、主への捧げ物を準備しました。「こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた」(第1歴代史21:26)。神が降りて来られ、“ご自身のもの”と呼ぶ聖なる山で、その捧げ物を焼き尽くしました。
ソロモンはエルサレムに神殿を建て、宮を神に奉献しました。そして、犠牲を供え、イスラエルの民のために、大いなる聖別の祈りを捧げました。彼が受け入れられたことについて、こう記されています。「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた」(第1歴代史7:1)。その時、民は何をしたのでしょうか。「イスラエル人はみな、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現われたのを見て、ひざをかがめて顔を地面の敷石につけ、伏し拝んで、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』と主をほめたたえた」(第1歴代史7:3)。
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