家族の面倒を見るということは、自由選択できることではありません。それは真の信仰を示すという事柄です。「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」(第1テモテ5:8)
子どもは、神の贈り物であることを覚えておかなければなりません。「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。…幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。」(詩篇127:3.5)。子どもたちを、贈り物として取り扱おうではありませんか。
誰が神の御座にいるか?:子どもの訓練・指導・愛育・養育は、「もしこれを行えば望ましい方向へ、行わなければ悪い方向へ」というように、将来に対して影響を及ぼします。「これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ」(ヨエル1:3)。将来に対して、良いあるいは悪い影響を、親はどのように及ぼしていくのでしょうか。信仰の篤い親は、信仰の篤い子どもを生みだし、罪の深い親は、罪の深い子どもを生みだします。「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:6)
信仰深い親でさえ、自分の子どもを適切に育てることを怠り、神の国からその子を失ってしまうことがあります。何と悲劇的なことでしょう。もし親が自分のするべきことを行い、あとは神に信頼するなら、神のご計画によって彼らは王国に住めるのです。また子どもをどう教育するかによって、子どもたちの神概念に影響を与えます。
ある神学校の教授が、父なる神の御性質を学生たちに理解させるのに、苦労した話を読んだことを思い出します。提出された多くのレポートは、神の御性質を歪んで理解していることを示していました。学生たちの多くは、両親が信者でないか、信仰を真面目に受け止めていない家の出であることに気がついた教授は、父なる神の絵を描くようにと言いました。
何人かは、天から彼らに稲妻を投げつける怒った専制君主を描き、他の者は空っぽの御座を描き、更に他の者は感情を持たない、受け身で冷淡な神を描きました。学生たちと会って絵のことを尋ねてみると、彼らは地上の父親を描いたことがわかりました。ある者の父親は、怒った専制君主で、愛情を持たずに家庭を支配し、他の者は子どもの時に父親から見捨てられており、他の者の父は、同じ家に住んではいても、子どもには無関心、あるいは仕事が忙しくて父親不在の状態で大きくなっていました。心をかけてくださる、愛情深い神を描いたのは、ほんの一握りの学生だけでした。これを描いた学生たちは、愛情深い家族関係を持っていました。興味深いのは、学生たちが天の神をどう見るかは、地上の父親像を反映していたことです。
何と悲しいことでしょう!このちょっとした演習により、神に与えられた役割を親が果たさないとき、子どもは大人になった後でさえ、神との関係や、神概念に影響を受けることを教授は発見しました。彼らは地上の間違った父親の姿が、天の父の間違った肖像となって転移されていくことを知り、間違った概念を訂正することができました。
あなたはどのような神の肖像画を描きますか?正しい肖像でしょうか?もしそうでないなら、天の父の御性質について、聖書全体をしっかり読み、絵を描き直す必要があります。また、神はあなたを愛し、世話をしたいと望んでおられ、神の訓練は愛に根ざしていると知ることができるように、牧師に相談する必要があるかもしれません。「しかし、イエスは言われた。『子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです』」(マタイ19:14)。神は新しい出発がおできになる神です。
|