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- 世界と命と永遠について神の展望をもつ必要があります。神が支配しているということ、神が私たちの源であるということ、そして、神の聖霊がみことばを実践するための力と知恵の源であるということを理解する必要があります。
- へりくだりの態度をもつ必要があります。それを研究し・学び・記憶し・適用し従うとき、神のことばを敬いましょう。これをするためには、ただ力や知恵ではなく、神の力と知恵に頼る必要があります。
- 神のビジョンをもち、生活の中に敬虔な価値と、神の永遠の目的をしみこませなければなりません。これは大きな代価を伴いますが、主による大きな報いが戻ってきます。
- 最後に、私たちの身の回りの世界、あるいは思いどおりに振る舞いたいという肉からの反対や失敗が生じたとき、私たちは第一課に戻り、もう一度神の展望を得る過程を始める必要があります。
◆あなたの光を内側から輝かせよ
イエシュアはマタイ伝5章14-15節で言われました。「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。」
イエシュアが「山の上の町」と語ったその町とは、サヘドであると信じられています。ティベリアから、上方に山を見上げると、夜はあかあかと輝く光を見ることができます。二千年前、それはティベリアの外で、闇に輝く唯一の光でした。今日、どんなことをしても隠すことのできない町々の光が、ガリラヤ湖をすっかりとりまいているのを見ます。丘の上にあるそれらの光は、闇を貫き、人々をその光へと引き付けます。そして、近くまで登って行くと、光は人々に昼のように歩くべき道を、あるいは、運転する道を見えるようにします。
神は私たちの心をご覧になります。それは、上からの光で輝いているべきです。私たちの内の光は真っ暗で、挫折したこの世界の中で、輝く信号となるべきです。生活の中で、私たちが表現する神のものが多くなればなるほど、まわりにいる人々に対し、より多くの積極的な効果をもたらすようになることをわきまえるべきです。
それが何かを発見する唯一の道は、人生の神のご計画を、私たちが受け入れる決心をすることです。しかし、それは神のことば、聖書の命令を、“光”よりも“束縛”のように感じさせてきました。また、「宗教的で」あることの概念は、重荷となったと言われねばならないのは残念です。
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