◆品性ある生活−神の見本
内側と外側:表紙で本を判断できないことを思い出してください。神は心をご覧になるのであって、外観だけではないように、私たちもそうすべきです。
断食については、「断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」(マタイ6:16-18)
マタイ7章でイエシュアは外観について、最も戦慄すべきお考えの一つを語っておられます。「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7:21-23)
ここから、主と私たちの関係は、外側の格好以上のものであり、内側から出るものでなければならないことを知ります。主とそのメッセージを代表する私たちにとって、内側を変革する神のわざを外側に反映させることが大切です。これは偽りの印象をつくらないことを含みます。
一信徒として、私たちは外観に配慮する必要もあります。しかし、外観に対するこの配慮には、私たちの仕える主を反映すべきです。これはしばしば自己中心の動機から尊重されているような、この世の人々がする配慮とは遠くかけ離れています。
人生の中で、人気者とみなされない人々がいるでしょう。彼らを知るために時間をとり、内にあるものを見出してください。外側の美しさ以上の特別なもの、もっと美しいものを見出して、あなたは驚くことでしょう。
あなた自身についてはどうでしょう。外側のものにかけているのと同じくらい、内側のものを伸ばすために、時間をかけていますか。他の人々に対するあなたの心にある愛は、あなたの髪飾りや新車、有名デザインのジーンズのように大切なものになっているでしょうか。外側ではすべてのものを持ちながら、神と彼の同国人である民の前で、その立場を失ったサウルのようになってはいけません。
「神の心にかなう人」となり、神と臣下に深く愛されたダビデのようになってください。
ダビデのように、しっかり神に信頼し、神の信任を得なければなりません。失敗にもかかわらず、その生涯と神のことばから推定できる、ダビデの品性ある生活―内側も外側も―の見本となる四つの原則を以下に挙げます。
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