この世の究極的なゴールは「トレンドセッター(流行仕掛け人)」になることとされており、他のすべての人が流行の流れを決める者の一人となりたがっています。しかし、注目され人気者となるべく、この世の基準に合わせて働くのは困難であり、人を消耗させます。信者として、私たちはこの世の地位から離れ、人々から注目を引こうとすることをやめる必要があります。それよりも、人気のない人から、最も人気のある人に至る他の人々に、より大きな関心を寄せる必要があります。そのとき、あなたは真に意義ある交友を得ち、大いに祝福されるでしょう。そしてその結果に驚かされることでしょう。人々に純粋な関心を抱くとき、あなたはもっと注目され、受け入れられるようになります。
第四課:人は外観を見るので、神の子どもなる人たちは、人々が私たちを見るときに醸し出す印象に注意深くあらねばなりません。
旧・新約聖書共に、人々の前で悪しき外観を避け、聖なる生活を送ることが、神の最高の証明であることを学びます。預言者のほぼ全員が、神の民が神の律法と主の十分な潜在力を満たしていない事実に心を痛めていました。
誤った印象、特に他の人々に損をさせて利を得ることを禁じる旧約の律法があります。レビ記25章17節はこう言っています。「あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。」
これは、経済的な利得とか、名声のためにする重大な偽りを含みます。しかし、神は罪のないこの行動を誤り解釈することから生じうる、間違った印象にも、関心をもっておられます。言いかえれば、罪の見せかけを避けることです。ブラハム・ブロックは、「A
Book or Jewish Ethical Concept(ユダヤ人の倫理観)」という著書の中で、次の例を挙げています。
凍てついた夜に、バスを待っていた婦人が、古くから家族ぐるみで付き合っている友人のオートバイに乗せてもらいました。その関係を知らなかった同労者が、彼女の行為を不適切と判断しました。その晩、彼女が見知らぬ人物とデートをしたのではないかという噂で電話線が混み合いました。友人にオートバイの人を紹介する配慮があったら、その不幸なゴシップは避けられたでしょう。残念ながら、彼女は自分のあさはかな行動の結果に苦しまなければなりませんでした。
婦人のしたことは罪のないことでしたが、間違った印象を与えました。そして、他の人々が悪いゴシップを流して罪を犯し、皆が傷つきました。
ユダヤ教では、間違った印象を与える行為を禁じる、字義的には「外観ゆえの」を意味する、「マリトハヤイン」と呼ばれる概念があります。
聖書の神の律法を守ることに関して、次の説明がマリト
ハ ヤインのタルムードに示されています。安息日に小川を渡り、その衣服が濡れた場合、その人はどうしたらよいのでしょうか。日の下でその着物を広げて、乾かすことは禁じられています。律法によって禁じられている安息日の衣服の洗濯をしたように、誰かに誤解を招かないためです(ユダヤ教:安息日64b)。
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