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BFP編集部 1999年1月
親愛なる皆様へ
“本を表紙で判断することはできない”
この古い格言の意味は、まことに単純です。本の外側を眺めただけでは、内容を知ることはできません。それを読む必要があります。
美しい金縁で、皮表紙がついていても、実際に読んでみるとその筋は平凡で、面白くないかもしれません。一方、表紙は簡素であっても、その内容はすごいもので、あまりにも面白くて、一気に読みとおしてしまうかもしれません。
誰にでもこんな経験があるでしょう。ただ眺める以上の行動を取るまで、本当に本の内容を知ることはできないのです。また、他人の推薦に頼ることもできません。他人には単調に思えても、あなたには実に興味深い本もあります。
そうです。この教えは本についてではなく、人々についてです。本を表紙によって判断できないように、人間の判断にも同じことが言えます。神と同じように、その人を良く知るためには、内側を見なければなりません。
イスラエルの次の王に油を注ぐため、エッサイの子を選ぶべく、サムエルが遣わされました。神は小さなダビデを求めましたが、サムエルは背の高い、強い兄のほうに目を向けました。第1サムエル記16章7節で、神はエリアブについて言われました。「主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」(後でこの物語を詳しく見ます。)
この聖句には二つの重要な真理があります。
- 主は人の心を見られる。
- 人は外観を見る。
神が、そして人々がどう私たちを見るか、また私たちが他の人々をどう評価するかを考えるとき、この事実は私たちに衝撃を与えます。ここで、自分自身や他の人々の善悪を評価するときには、生活の内側と外側の両方を考慮することが大切だということを学ばされます。
ユダヤ教とキリスト教の両者が、サムエルにあった神の御声を発展させてきました。ユダヤ教のマリト
ハ アイン(字義的な意味は「外観ゆえに」)という概念に、私はいつも魅惑されます。それは、誤った印象に基づく行動を禁じます。私たちはこの概念をキリスト教の中にもっています。パウロがテサロニケの人々にこう書いています。「悪はどんな悪でも避けなさい。−(英語訳)」(第1テサロニケ5:22)。この言葉は、正確には何を意味しているのでしょうか。己の、そして他の人々の内側と外側を、私たちはどう考えたらよいのでしょうか。神のことばには、その答えを示す四つの非常に大切な科学があります。少し詳しくそれを見ていきましょう。
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