もし、突然記憶喪失になったらどうでしょう。名前、住所、家族、職業、必要とされていた、愛されていたという記憶……今、自分がどこにいるのかも分からない。間違いなく、大変な苦しみと不安に陥ることでしょう。
同じように、今日のキリスト教も、ある意味で記憶喪失のような状態にあります。キリスト教は、中東・イスラエルから生まれ出たにもかかわらず、私たちは「ユダヤ」というものに対して、親しみや実感が湧きません。一般の方々に至っては「キリスト教=ヨーロッパの宗教」という認識です。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
ユダヤ・ルーツを知る……それは、聖書の背景となった「ユダヤ」に関する、文化、風習、言葉、比喩、歴史を理解することです。そして、それらを熟知した読者を対象としているために、あえて書かれなかった行間にある意味を読み取ることです。
◆塩の例え
マタイ伝5章13節に、次のようなみことばがあります。「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」
「塩が塩けを失う」ことなどありえるでしょうか。
主イエスの時代、塩は三つの形態で販売されていました。金持ちが買う精製された塩。中流階級の人々が買う岩塩。貧しい人々が買う、塩を含んだ泥の固まりの三つです。貧しい人々は、この固まりを食卓の真ん中に置き、浮き上がってきた塩の結晶を摘み取って使っていました。結晶が浮かんでこなくなると、泥は外に捨てられました。ですから、塩気を無くすとは、結晶がもはや浮かび出てこない“泥の固まり”になることです。当時、これは日常的に見られた光景ですから、民衆はイエスが何を言わんとしているのかを、容易に理解することができました。
◆衣のふさ
12年の間「長血」を患っていた女性が、イエスに癒やしを求める場面がマタイ伝9章20節から22節に語られています。女性はイエスの着物の房に触り、「お着物に触ることができれば、きっと直る」と心の中で考えていました。一見、何とも唐突で不自然な行為ですが、ユダヤ人の服装を知っていれば、ここにも深い意味があることがわかります。
ここで「ふさ」と言われているのは、ヘブライ語ではツィツィヨットと呼ばれ、ユダヤ人男性が着物の四隅にかならずつけた物です。民数記で、神はモーセにこう仰せられています。「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。」(民数15:38)。このように、ふさ飾りをつけることは、神ご自身が定められたおきてでした。主イエスもユダヤ人男性として、これを守っておられました。
このふさ飾りは、ユダヤ人の男性に、神の戒めを思い起こさせるものでした。絶えずモーセの613の律法を思うようにデザインされています。
またふさは、その人の権威を表すものでもありました。ダビデがエン・ゲディのほら穴で用を足しているサウルにこっそりと近づき、着物のすそを切り取りました。これはサウルにとって屈辱的なことでした。ダビデは自分の行為に心痛めています( I サムエル24章)。それはこの着物のすそが、イスラエルの王として油注がれたサウルの権威の象徴であったからです。それを盗むという行為に、ダビデは罪悪感を覚えたのです。
「ふさ」にはその他、関連するいろいろな意味が込められています。長血を患っていたこの女性は、イエスの衣のふさを触るという行為で、[1]神のおきて、つまりみことばを握りました。[2]「癒やし主」というイエスの権威に服し、身を寄せるという意志を表明しました。たった一、二行の行為に、これだけの意味が含まれているのです。ですからイエスは「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを治したのです。」と言って、彼女を癒やされたのです。
◆ルーツを取り戻すことのすばらしさ
「何を言わんとするか分からない」、あるいは「退屈で聖書を読み進めるのが難しい」という方にも、このユダヤ的ルーツを知ることは、聖書を楽しく読む秘訣となるでしょう。植物は根がなければ栄養を取り込むことも、真っ直ぐに立つことも、生命を維持することもできません。切花は一瞬の美しさを誇っても、枯れてしまえばそれで終わりです。しかし、根のある植物は成長を続けるばかりか、実を結んで次の生命さえ生み出します。同様に、もともと聖書が書かれたユダヤという土台に根を下ろすことで、その意味を正しく理解し、受肉することで、栄養をグングン吸い上げて元気になることができます。
パウロはこう言っています。「もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。」(ローマ11:17-18)。ユダヤというオリーブの木が、教会という枝を支えていることを、パウロは私たちに伝えようとしていたのです。クリスチャンはユダヤに接ぎ木された存在です。ユダヤ的ルーツを知ることが、私たちを、本来神が意図されていた方向へと導くことになるのです。
B.F.P.Japanでは、できるだけ多くのユダヤ的ルーツを皆様にお知らせしていきたいと願っております。そのために有益な書籍の発行にも努めております。また、当団体機関誌『月刊オリーブ』には、BFPの活動報告、イスラエルの時事問題、基礎知識、最新情報、そしてこのユダヤ的ルーツについての解説等が掲載されています。皆様のイスラエル理解に、聖書の学びに、信仰生活にとって、きっと有益な情報があることでしょう。ぜひぜひ、『月刊オリーブ』をご利用ください!! 購読については、B.F.P.Japanまでお気軽にお問い合わせください。全国のキリスト教書店でも販売しております。 |