「あの方はイエスさま!」
そう気がつくとペテロは湖に飛び込みました。陸に上がると炭火がおこしてあるのを見て、はっとしました。なぜなら、ペテロは炭火にあたりながらイエスさまを否定したからです(ヨハネ18:18)。イエスさまにとってこの炭火は、「あなたが一番見られたくなかったあの場面もすべて知った上で、わたしはあなたを受け入れているよ。」というしるしでした。この方は私たちの罪や欠点を見落としておられるのではありません。何もかもご存じの上で、私たちを愛してくださっているのです。
イエスさまはすでに朝の食事を準備して待っておられました。一晩中漁をして疲れ切った弟子たちにとって、それはなんとありがたいおもてなしでしょうか。しかし、そこには空腹を満たすということ以上の意味がありました。
聖書において食事を共にするということは、和解のしるしです。裏切ったのは弟子たちだったにもかかわらず、イエスさまが和解の食卓を用意しておられたのです。ですから、ペテロは本当は漁をする必要がなかったのです。「魚をとる漁師ではなく、人間をとる漁師にすると言ったでしょう。」 そう主が語っておられるようです。それは、ペテロに対する召しが変わっていないということの確認でもありました。
そのとき、ペテロはなぜ主が、「よみがえってからガリラヤで待っている」(マタイ26:32)とおっしゃったのかを悟ることができたのです。
あのときイエスさまが炭火をおこされたと思われる岩の上に、今もペテロ召命教会が建っています。そこに入ったとき、私のために和解の食事を用意して待っておられたイエスさまのご臨在を覚えました。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」
それは、やり直すことができるという、主の語り掛けとして私の心に響きました。あの日、拾った岸辺の貝殻が今も私の牧師室に置いてあります。それを目にするたびに、イエスさまからいただいた召しが間違いではないことを確認するのです。「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21・17)。
松本章宏 略歴
1961年北海道・旭川生まれ。
高校3年の時、釧路キリスト福音館で受洗。道立高校教諭、OMF日本語センター教師を経て、韓国ACTS神学校(神学修士号取得)、米国ウエスタン神学校(神学修士号取得)卒業。
妻正子との間に高校3年と小学6年の二人の息子がいる。第8回B.F.P.
Japan北海道ハイナイト大会では事務局長を務める。
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