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 ペテロは即座に、何もかも捨ててイエスさまに従いました。自分の人生に対する神のデザインを知ったからです。これまで味わったことのない幸せでした。自分が何のために生まれてきたのかやっと分かりました。どんなことがあってもこの方から絶対に離れない。そう決心しました。自信もありました。

 最後の晩餐の夜、主は弟子たちがご自分を裏切るであろうと預言されました。これに対しペテロは、「たとい、全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26:33)

 ――そう断言しました。しかし、そのほんの数時間後にあの忌まわしい出来事が起きてしまったのです。自分を丸ごと受け入れてくださった方を、なぜあれほどまで激しく否定しなければならなかったのか、自分でも分かりません。鶏の声にはっと我に返ったとき、主が振り向いてペテロを見つめられました(ルカ22:61)。

 私たちにとって最も見られたくない場面。そこにも主のまなざしがあるのです。

 イエスさまはどんな目でペテロを見つめられたのでしょうか。がっかりした目、さげすみ、絶望、それとも、裁きの目でしょうか。もしそうだったなら、ペテロは二度と立ち上がることができなかったことでしょう。イエスさまのそのときの目は、「私はあなたのために祈っているよ」と語り掛けていました。それが証拠に、あらかじめペテロにこう語っておられたではありませんか。

 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)。そのまなざしを見たときに、ペテロは外に出て激しく泣きました(ルカ22:62)。それは悔い改めの涙、そして、「もう一度やり直させてください。」という涙でした。

 しかし、それが不可能な事態になってしまいました。イエスさまとの関係をやり直そうにも、この方はその日のうちに十字架上で息を引き取られ、もはや帰らぬ人となってしまったのです。一言「ごめんなさい」と言いたくても、語り掛けることさえできません。

◆やり直しはできる
  私たちにとって、「やり直すことができない」という以上につらいことがあるでしょうか。キリストの復活は、そんな私たちの絶望を、希望に変える出来事なのです。主は2回、エルサレムで弟子たちの前に姿を現し、「平安があなたがたにあるように」と語ってくださいました(ヨハネ20:19、26)。

 しかし、ペテロは申し訳なくて、なかなかイエスさまと目を合わせることができなかったのではないでしょうか。そんな中、天使によって伝えられたメッセージを思い出しました。

 「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。」(マルコ16:7)。ペテロはガリラヤ湖に帰りました。それはイエスさまと出会った場所、イエスさまに召された場所、彼にとってまさに信仰の原点でした。そこで網を引きながら、あのときと全く同じ手ごたえを彼は感じたのです。

 
 
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