■奉仕に励む
基礎体力の鍛錬です。毎日、ストレッチ体操をしたり、駅まで歩いたり、階段を歩いて上り下りしたり、とちょっとした努力で基礎体力が養われるように、霊的にも養われていく必要があります。
ストレッチをして体を動かすように、奉仕のために体を動かすのです。会堂のそうじをしたり、友人を訪ねたり、教会案内や集会案内のちらしを周りの家々に配って回ります。時にはつらい思いをさせられることもあります。それも鍛錬には必要なことです。
事務機のセールスをしている方から教えていただきました。自分で訪ねていく店の数を決め、それを目標に歩いて回ったのです。ほとんどの店からは断わられます。がっかりして、もう止めようと思うのです。でも、訪問することに勝つ秘訣は訪問を続けることだそうです。
■礼拝
クリスチャンにとって礼拝は欠かせません。最近はラジオ、テレビ、インターネットでいろいろな教会の礼拝を見たり聞いたり出来ます。でも、自分の教会の礼拝に出席することに代わるものではありません。
毎週、同じようなプログラムで同じような賛美歌を歌い、献金して帰ります。時間をかけ、交通費をかけて教会に出かけます。代わりばえしない説教で、行っても行かなくてもたいしたことではないと思う人がいます。
ある方が「私は10年以上、そう520回も礼拝に出ていますが、出ても出なくてもたいした代わりはありませんよ。説教のことなどちっとも覚えていませんしね」と言ったのです。そこで牧師は「そうですか、私も結婚して30年になりますが、毎日家内は料理を作ってくれました。2万回以上も食事を作ってくれたと思いますよ。でも覚えている料理はほとんどありませんね。でもそれによって健康が保たれていることは確かです」と答えました。
◆神を伝えよう
「かぐわしいキリストのかおり」(IIコリント2:14、15)私たちクリスチャンは、かぐわしいキリストのかおりなのです。誰に対してですか。「救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも」(15)つまり、すべての人々にとってかぐわしいキリストのかおりなのです。強烈な香りは嫌われるでしょう。気分を悪くさせることでしょう。ほんのりと気分をさわやかにさせるような「キリストのかおり」として芳香を放ちたいものです。そのかおりに誘われて多くの人々が主に引き寄せられ、その人々が救いに導かれると幸いです。
かおりを放つだけでなく、「語る」ことも大切です。17節を見ると「神のことばに混ぜ物」をしないで、「真心から」語るのです、と記されています。押し付けは嫌がられます。反発を招くだけでしょう。時がよくても悪くても、大胆に、真実に、愛をこめてキリストの十字架について語りましょう。
普段から「神を知る」ことに努めていると、何を語るべきかを神様が教えてくださいます。あなたから声をかけられるのを待っている人がきっといるはずです。「神様、きょう、私はどなたにお会いするでしょう。その人にかぐわしいかおりを放つことが出来ますように。何をその方にお話ししたらよいでしょうか、教えてください」と祈っていると、神は人を備えてくださることでしょう。 |