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 私たちの人生にも、病気、挫折、事業の失敗、愛する人の死などによってダビデのように、荒野をさまようような時があります。

 「荒野」は、ヘブル語で「ミットゥバール」です。それは「タバール」(語る)という語と関係があります。ですから、荒野こそ神の語り掛けを聞くのに最もふさわしい所なのです。

 荒野では、他の場所では聞こえなかった神の声が聞こえてくるのです。荒野では何も助けがないように見えます。しかし聖書を見ると、荒野で多くの神の奇跡が起こっています。

 そこで私たちは、自分の無力を知り、完全に神に信頼することを学ぶのです。

◆御顔の救い
 5節の終わりに「御顔の救い」という興味深い表現があります。これは、“神が直々に私たちを見てくださる、それが私の救いです”という意味です。

 例えば、今まで夢中になって遊んでいた幼子が、ふっと気が付くと、部屋の中はガランとして、母親の姿が見えない。幼子はたちまち不安になって「お母さん! お母さん!」と泣き叫ぶ。母親はその泣き声で飛んで来ます。すると母親の顔を見て、幼子は途端に泣きやみ、笑顔になるのです。これが「御顔の救い」ということです。

 ダビデは神に向かって「あなたの御顔を仰がせてください」と求めているのです。

 6節に「ヨルダンとヘルモンの地から」とありますが、ダビデはヨルダン渓谷の美しい眺めにも、ヘルモンの雄大さにも、心が慰められることはなかったのです。創造者なる神の御手によって造られた大自然は、確かに荘厳で美しいものです。しかし、それがどんなに素晴らしくても、被造物であり、造られたものなのです。

 ダビデは、あくまで主ご自身を求めているのです。「神よ、あなたの御顔を見せてください!」

 スチュアート・サックスという宣教師が、次のような証しをしています。

 ――私がパラグアイで働いていたころのことです。ラファエルという名のインディアンの男が来て、私の家の戸口に座りました。私は何か用なのかと思って外に出ました。「ハム、ヘネク・メット」と彼は答えました。私はもう一度、何かしてあげられることはないか、と尋ねました。しかし答えは同じでした。その意味は分かりました。「いや、べつに用はない。ちょうど近くに来ただけなんだ。」しかし私は、その言葉の重要性を理解していませんでした。あとになって、私は先輩の宣教師にこのことを話しました。彼はそれが、ラファエルなりの敬意の表し方であったと説明しました。実際彼は、何か用があって来ただけではありませんでした。彼はただ私の近くにいることだけで、彼は満足し、うれしかったのです。

 主は私たちに尋ねられます。「子よ、どうしてここに来たのか?」

 「ハム、ヘネク・メット。」

 この答えこそ、真の礼拝の心を表しているのです。

 
 
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