
←東京大会での会衆賛美の様子
神のその思いを受け取った時、私は声を上げて泣いていました。創造主なるこの偉大なお方が、ちりにすぎない私たちに頭を下げて感謝してくださるとは、何と畏れ多いことか……何ともったいないことか……。しかし、私たちの仕える神は、これほどまでにへりくだったお方であり、私たちのどんな小さな働きも、このように感謝をもって受け止めてくださるのだということをしみじみと感じました。
「この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)と言われた主のお言葉は、真実であり、私たちがするどんな小さな祈りも、どんな小さな行いも、主は心に留めて、いやそればかりか、私たちに感謝さえしてくださるのだということを実体験しました。
将来への期待
「なぜイスラエルの救いを祈るのか?」
「世界には、もっともっと貧しい人々がいるにもかかわらず、
なぜイスラエル支援が必要なのか?」
「聖書は愛を説いているのに、イスラエルはパレスチナ市民の命を奪っている。
その国に加担することは、本当に主の御心なのか?」
「なぜユダヤ人は歴史的に迫害されてきたのか?」
「イスラエルの土地は、一体誰のものなのか?」
「イスラエルを祝福する者は祝福されると言うが、
では、祝福しないクリスチャンは呪われるのか?」
「イスラエル問題は、過去に深い傷を教会に残している。近づかない方がいいのではないか」
「『ユダヤ人から霊的なもらいものをしたのだから、物質援助をするべきである』
というみことばを引用するのは、高慢ではないか!?」
……等々、イスラエルに関する意見・疑問は後を絶ちません。
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