那覇バプテスト教会主任牧師
B.F.P.Japan 顧問 国吉 守 2003年7月
「 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)
平和はいつの時代でも大切ですが、今日ほど平和が緊急に必要な時代はありません。平和をつくる者が神の子どもと呼ばれるならば、今こそ本当の神の子どもたちの出現が望まれる時代であり、キリスト者一人一人が平和をつくる者となるべき時です。
21世紀を平和の世紀に!
21世紀は「平和の世紀に!」と誰もが願ったことですが、しかし、この願いをあざ笑うごとく、アメリカで起きた同時多発テロがその幕開けとなりました。
100年前、19世紀末の人々は、20世紀を迎える前に、やはり「平和の20世紀」を夢見て平和会議を開催してきました。しかし、現実には20世紀は二度の世界大戦、200を超える局地戦争や数々のテロリズム、大量殺傷兵器によって1億8千万以上の人々が犠牲になったと朝日新聞(1995年8月12日付)は報じています。ですから、20世紀は「暴力の世紀」とか、「戦争と破壊の世紀」とか言われているのです。
20世紀は確かに科学技術が飛躍的に発達した時代で、人間はついに宇宙に飛び出し、月にまで到達したのですが、一方で核兵器という大量殺傷兵器まで造ってしまったのです。今日の世界の平和が核の抑止力によってしか保持できないということは、何とも皮肉な事実であります。互いに平和を望みつつ、最も恐ろしい核兵器でしか相手を抑止できないと考えるほど、人間の不信感は深刻です。相手がいつ急変するかもしれないという不安が仮想敵国をつくり、やがて現実に敵を作ってしまうのです。人間の歴史は常にこの不安に脅かされてきましたので、常に軍備に力を入れなければならないという状態が続いていることはまことに悲しいことです。
21世紀も、また20世紀と同じような世紀にしていいのでしょうか。私どもはここで今一度、戦争の罪悪性を確認し、日本人として、かつての侵略戦争遂行に協力した明確な反省と謝罪と悔い改めをしなければならないと思います。
日本のある政治家がアジア諸国に対して「一体、何回謝ればいいのか」と暴言を吐いたことがありましたが、数の問題でなく、質の問題であり、言葉の問題ではなく、内容の問題であることが、日本人にはなかなか通じないようです。真剣に心の底から反省し、謝罪するならば1回でいいはずです。アジアの人々にとって、日本人の「遺憾に思う」というような反省は、いまだ心からの悔い改めとしては受け取られておりません。日本はまた、いつか来た道を歩むのではないかという不安を払しょくできないでいるのです。ですから、首相の靖国神社参拝には、中国、韓国等の国々がすぐに反応して、反対せざるを得ないわけです。
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