試練の時代の中でも
この聖書箇所を読むときに、モーセが誕生し、育っていくために、助産婦、無力な両親、パロの娘など、たくさんの人々が用いられたことに、神の不思議さ、偉大さを覚えます。
日本は島国ですから、平和に慣れ、危機意識がありません。何か起こっても「のど元過ぎれば何とやら」で、3カ月もすれば忘れてしまいます。しかし今、時代は変わりつつあります。いつ北朝鮮から核弾頭が飛んでくるか分かりません。深刻な不況で、サラリーマンは、いつリストラに遭うか分かりません。道徳的な退廃も進んでいます。日本の若者は、80%が高校在学中に性交渉を経験します。悪魔はクリスチャンであろうとなかろうと、人を区別なく誘惑します。こんな時代の中で子育てをするのは本当に大変です。モーセの誕生を思うとき、試練の中でも、信仰によって立ち続けることが親にとってどんなに大切か、ということを思わされます。
信仰の種、芽吹いて……
私たち一家は、昔、山形の左沢という所(ドラマ『おしん』のモデルとなった女性の出身地)で開拓伝道していました。同じ日本でも、東京と山形では文化、言葉が違います。言葉が違うということはよそ者です。近所の子供をつかまえては、必死に山形弁を教わろうとしました。ところがなかなか「なまり」が会得できませんでした。
当時、私たちが借りた集会所は、最上川の岸辺から10メートルほど上がった所にありました。農家の人々が仕事の後、かまやくわを洗いに来るため、夕方、結構な人通りがあるのです。現地の言葉で「おばんかったす(こんばんは)」と声を掛けたら、にやっと笑われました。やはり発音が悪いのです。「おんめえらよお、いつまでここにいんだ」と言い返されてしまいました。――いつ東京に帰るんだ、早く帰れよ、ということなのです。
畳敷きの10畳の集会所で、木箱を重ねて講壇代わりにし、座布団を敷いてイス代わりにしました。会衆は妻と3歳の長女と生後7カ月の次女。
私は、外に聞こえるように窓を開け、ありったけの大声を出して説教を始めました。ところがそのうち、長女が「ママ、おちっこ」と言い出し、妻が「悪いわね」とウインクし、子供たちを連れて外に出て行ってしまいました。全会衆トイレ休憩。ここでやめるわけにもいけない、誰かが外で聞いているかも……と思いつつ、「皆さあん……」と一人、メッセージを続ける私。いったい何やってるんだろう……と、ピエロのような思いがしました。
そんな中でも、人々が集まるようになりました。昨年、二人の女性牧師がこの教会を引き継ぎ、すばらしく大きな会堂と付属幼稚園、そして牧師館が建てられました。人口5千人の小さな片田舎の町に、こんなすばらしい御業が起こったのです。ここで再び、神の御業は人の思いを超えて何と大いなるものかと、心から感謝を覚えました。
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