神のみことばであられる主イエスこそ、創造主であり、律法であり、預言である神のみことばです。このお方こそ律法ご自身ですから、この方に従う者は皆、神の律法すべてに従っているのです。ですから、私たちの内に律法の祝福すべてが成就し、神の御国を継ぐ者とされました。あるメシアニック・ジューは、イエスを
「律法の受肉」 と言っています。律法そのものである主イエスに従っている私たちは、律法の一部を行っているのではありません。すべての律法が成就されたことを信じる信仰によって、生きる者となるのです。キリストが律法を完成されたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ10:4)
この 「終わらせた」 に使われているギリシャ語は 「テレオ」 で、「的に当たる」
という意味をもっています。「ある行いに対する終結」、「予定どおりに達した」
とも言えるでしょう。モーセから出発した律法の終点は、主イエス・キリストそのものなのです。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
(ヨハネ15:13)
このみことばのとおり、神の子イエスが、友である私たちの命を罪から救うため、ご自身の命を捨てられたことで、愛の律法を全うする証しを立ててくださいました。
自ら犯した罪によって、神との友人関係を絶ち、闇の世界の住人となったアダムとエバ。その人間をお見捨てにならずに、ご自身の命をもってお救いくださった神。私たちを贖い出してくださったこのすばらしいお方に、この命の感謝を捧げましょう。それは、生きた律法である、主イエスのみことばに従って歩むことに他なりません。「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」
(ヨハネ15:14) |