続いて、私たちの罪の許しのために、そして、試みと悪しき者から守られるようにと祈ります。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」(マタイ6:12-13)
◆神との会話こそが祈り
私たちが、自分自身の祈りの言葉を吟味してみると、「……をしてください」という言葉が多いことに気付きます。これは、祈りの中で大きな割合を占めています。確かに、自分自身の願いはとても大切ですが、祈りは神との会話であることを忘れないようにしましょう。
旧約聖書の中で、ソドムとゴモラの町のとりなしをするため、アブラハムは神と会話しています。そのとりなしの祈りの中で、神は、アブラハムの申し出に、一歩一歩譲っておられることがわかります。まるで人と人との会話のようです(創世18:23-33)。ですから祈りのときには、形式的な言葉遣いではなく、親しみを込めて、父なる神に対し語り掛けてみましょう。自分の気持ちを素直に表現し、主に語り掛けます。きっと祈りの時が、以前と全く違ったものとなることに気付かれると思います。最近、私も父なる神と会話するような祈りに変えたところ、神の臨在を以前より深く感じとれるようになりました。
◆会話はキャッチボール
昔、お父さんと息子さんがキャッチボールをする光景をよく目にしました。もっとも最近はサッカーボールかもしれませんが。神と会話する方法も、人と話すのと同じです。まず神の御声を聞き、それから祈りと願いをもってお話をします。そうするためにまず大切なのは、神の御声を聞くために、聖書を読むことです。聖書は霊感を受けた神のみことばですから、聖霊を歓迎し、主に耳を傾けながら読みましょう。そうすると、主はみことばと悟りを通して私たちに語り掛けられます。
「しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)
「しかし、その方、すなわち真理の御霊がくると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。…御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(ヨハネ16:13-15)
このように、聖霊は私たちが神の御声を聞くときにいつも介在されているので、この方により頼みながら、聖書を読みましよう。
私がクリスチャンになってまもなく、使徒の働きを読んでいたとき、「毎日」という言葉が目に飛び込んできました。初代教会時代のクリスチャンたちは、毎日宮に行き、礼拝をしていたのです。私はこの言葉に捕えられ、牧師に相談し、了解を得て、教会に毎日通って祈るようになりました。この「毎日」というみことばが、私自身を祈りの生活の中へと導き入れてくれました。
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