イエスは、ご自分のもとに来られる人々に安息を与えると約束されました(マタイ11:28-30)。「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。……わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」イエスが私たちに担うように言われたのは、この「神の御国のくびき」でした。このくびきに2つの考え方が結びついています。くびきを負うことの必要性と、「御国」を「神の統治」また「支配」として理解すること。私たちは神のご支配のくびきを負い、服するべきです。それゆえ、神の権威と王権のもとに自分自身を置くことです。そうすることで初めて、私たちはまことの平安を得、夢と希望が実現することを知るのです。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。……だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:21-23)主イエスのくびきを負って、みことばを守って生きる
人は、主を愛する人であり、その人のもとに主は愛をもって「ともに住む」=とどまってくださるのです。
◆神のくびきを負って生きる
神の御国のくびきを負わなければならない、もう1つの理由があります。それは、神のご支配の特質そのものに起因しています。
ヘブライ語で「統治する」「支配する」を意味するいくつかの動詞の中に、「マラク」「シャラト」という2つの言葉があります。両者は、ある意味でまったく反対の状態を表しています。マラクは通常、王によっ支配されることを示します。マラクの名詞形は「メレク」で、「王」そのものを意味します。旧約聖書には、アブラハムを祝福したサレム(エルサレム)の王で、「メルキ(=メレク)ゼデク」という人物が出てきますが、この名は「正しい王」という意味をもっています。(創世記14:18)
一方、シャラトは、絶対的統治または管理、自然や敵を服従させることを表しています。また、あるものに対して権力をもつこと、服従させること、統治することなどの意味をもっています。大変厳しいニュアンスの言葉です。
マラクはこうした専制君主的なものではなく、緩やかな支配を意味します。この言葉は、旧約聖書においてイスラエルの王たちによる統治や、神による支配を表す言葉として用いられています。イザヤ書32章1節に次のように記されています。「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる。」この場合の「治め」は、原語で「イムラク」つまり「マラク」によって表現されています。
神は、メレク=王としてご自分の民を支配されようとしています。神のご支配はよきものであり、私たちの益となり、そこに圧制的なものは一切ありません。このような王権は、この地上ではそうそう存在するものではありません。これは、神が統治されることをとおしてご自分の民と結ぶ関係を示しています。神はよきお方であり、公正と正義をもって治められるお方であり、そのご支配は神の民にとって益となるものです。
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