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 はじめに書いたように、「こんなことが起ってよいのだろうか……」と考える人がいるかもしれません。ある方は、苦しみは信仰によって取り去ることができると主張し、苦しみのすべてを主の御名によって叱りつけ、縛る方法を学んでおられるでしょう。しかし聖書は、こうしたことについて何も示唆していません。詩篇97篇10節に「主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。」と書いてあります。詩篇91篇16節では、義人に長い命を約束しています。しかしステパノは非常に評判の良い、御霊と知恵に満ちた人だったにもかかわらず、若くして最初の殉教者となりました。

 キリストのゆえに受ける苦難は、殉教以外にもさまざまな形があります。それは、他の人々への愛や救いのために受ける苦しみで、拒絶・悪口・中傷・迫害・圧迫・霊的攻撃・病気などがあります。聖書は次のみことばで、信者が苦しみに遭うことを語っています。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(II テモテ3:12)。実際に、気付きにくい微妙な迫害がたくさんあることでしょう。たとえば昇進させてもらえなかったり、わけも分からず友だちが離れてしまったり、どちらかが信徒ではないために起こる夫婦間や家族の間で起こるまさつ……などです。それらは、信仰や信仰告白によって起こりうる、はっきりしない形の迫害と言えるでしょう。

 他の人々への愛や救いのために受ける苦しみについて書きましたが、その中にどうして病気が含まれるのか不思議に思われたかもしれません。それについて、聖書を見てみましょう。パウロは肉体に一つのとげが与えられていたと書かれています。ある人は目が悪かったのではないかと憶測していますが、聖書をよく見ると何かもっと不快さを伴うものであったようです。彼は神にそれを取り去ってくださるように乞うていますが、その願いは受け入れられませんでした。とうとうパウロは、この問題が、あがないのために与えられていると理解するのです。それは彼が受けたすべてのすばらしい御業によって、高ぶることがないようにと与えられました(II コリント12:7)。

 そしてヨブについてもみてみましょう。彼はすべてを失い苦しみました。財産・子ども・そして最後には健康までも……。彼の苦しみは、真実神のためでした。彼の壮絶な苦悩は、神ご自身の栄光と、神の国のために起こったのです。もし私たちが神と訴える者(サタン)との間で交わされる会話を聞くことができるなら、この世で与られる苦しみは、もっと負いやすくなるに違いありません。苦しむことが、即、神に愛されていないとか、主の御心から外れているという意味ではありません。しかし同時に、己の罪や愚かさからくる苦しみがあることもまた事実です。自分の中に高慢や差別的な気持ちを育てないように、気を付けなければなりません。

◆苦しみとどう付き合っていけば良いのか?
 「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示21:4)

 
 
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