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BFPガリラヤ・スタディーセンター前所長 ジム・ゲリッシュ 2002年9月

 ヨブの時代から、人間の悩み苦しみの謎は、人々を戸惑わせてきました。今日も多くの人が「なぜこれほど苦しまなければならないのか」という疑問をもっています。「神にある人が苦しむなど、そんなことはありえない」という少数意見のかたわら、多くの人が個々の体験や聖書の教えから、それは確かに起こることを知っています。

 第一ペテロの書には、苦しみや試練に関するテーマが織り込まれています。この短い書簡の中で、“苦しみ”“試練”“苦難”の3つの言葉が、全部で19回も出てきます。また、その他多くの箇所に苦しみの問題が書かれています。今回はこの「苦しみ」について、掘り下げてみましよう。

◆生活の一部としての苦しみ
 まず生活にまつわる苦しみについて考えてみましょう。生活の中には、争い・堕落・挫折・心配・ストレスなど、さまざまな形の苦しみがあります。創世記に書かれているように、人の道には困難や苦しみのトゲをもつ、イバラやイラクサが茂っているのです。アダムとエバが罪を犯したあと、神が試みや困難に、これらの苦しみを加えられたのは確かなことだと思います。人間が神に助けを叫び求め、救いを受けるために、神は小さな圧力を置きたかったのでしょう。結局、すべてが整えられていたエデンの園を、罪深く反抗的で自分勝手な人間が歩き回ることはできませんでした。

 こうした呪いの一部に、誰でも経験したことのある、病気や肉体の痛み、そして最終的には死も挙げることができます。第二テモテ書4章20節で使徒パウロが「……トロピモは病気のためにミレトに残して来ました。」と、短く述べていますが、ここから初期の使徒のような人物でさえ病気になり、そして明らかに、パウロでさえこれを癒やせなかったことが分かります。さらに、パウロの愛弟子であり、同僚でもあったテモテも、絶えず胃の問題で悩まされ、よく病気をしていました(I テモテ5:23)。エパフロデトもパウロと一緒にいるとき病気になり、ほとんど死にかけたと書いてあります(ピリピ2:25-27)。

 このように信仰の基を築いた初期のクリスチャンでさえ病気になったのですから、すべての病を信仰が弱いせいだなどといって否定するべきではありません。病気を否定することは、私たちを偽善に導きます。もしすべての病が癒やされたというなら、それは死の存在を否定しているのと同じことです。聖書には、死がまだこの世界にあり、主が最終的に打ち倒す敵であると書かれています(I コリント15:26)。主が来てくださらないかぎり、今の時代においては、すべての人が最終的に死の苦しみを味わわなければなりません。しかしここまで述べてきたことは、病を癒やす信仰を否定するものではありません(ヤコブ5:15)。神は癒やしのために、いつどのように祈るべきかさえも導いてくださるのです。

 
 
 
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