◆3宗教の決定的な相違点
ところで、同じ唯一神教であっても、キリスト教は他の2宗教と根本的に異なる神観に立っている。すなわち父なる神、子なる神、聖霊なる神は同じ本質をもつ一つの神であるという三位一体の教えである。これはユダヤ教、イスラム教からすれば許しがたいことであり、イエスや聖霊を神とすることは多神教にほかならない。けれども、キリスト教にとってはこれを撤回することは、自らを否定するに等しい。
唯一神に選び出されたユダヤ人たちにとって、キリストを神と認めがたいことはわかる。しかし、そもそも最初にイエスを神と信じたのはユダヤ人自身だった。決してクリスチャンになった異邦人ではなかった。元ユダヤ教徒が、イエスは神であることを異邦人の間に言い広めたことは、キリスト教にとっては幸いだったと思う。
一方、イスラム教は三位一体を激しく呪う。クルアーンにはこう記されている。
「救い主イーサー(イエス)、マルヤム(マリア)の息子はただのアッラーの使徒にすぎない。またマルヤムに託された『ことば』(ロゴス)であり、アッラーから発した霊力にすぎない。……けっして『三(三位一体)』などと言ってはならない。アッラーはひとりの神であり、神に息子があるとはとんでもないことである。」(クルアーン4:171)
「アッラーは尋ねられた。『マルヤムの子イーサー、あなたは皆に「アッラーではなく、この私と私の母を神として崇めよ」などと言ったのか。』
イーサーは答えた。「恐れ多いことです。私がなぜそのようないい加減なことを申しましょう。……私はただ『私の主であり、あなたがたの主であるアッラーを崇めなさい』と言っただけです。(同5:116〜) どうもムハンマドは、クリスチャンが唱えている三位一体を、父、母、子なる神と思い込んでいたふしがある。
三位一体は理屈では説明できることではなく、人間の理性の外にある。それはユダヤ教徒やイスラム教徒に限らず、多くの人にとってつまずきの石になってきた。では、なぜ一神教であるキリスト教は、そんなやっかいなことをわざわざ唱えたのか。それが神の存在の仕方だからだ、といえばそれまでだが、実は三位一体は、特に「救い」の教えにおいて、他の2宗教とは異なる重要な意味をもっているのである。
◆ユダヤ教の救いはヨム・キプール
3宗教とも唯一絶対にして聖なる神を信じているので、その神に対する背信行為、つまり罪が人間の大きな問題になる。では、その罪がもたらす死からどうすれば救われるのか。
まずユダヤ教だが、律法の書にあるとおり、罪の贖いは自分の身代わりのいけにえとして動物をほふり、その血を注ぎ出すことによって成し遂げられる。「命は血の中にある」「命として贖いをするのは血である」とされるからである(レビ17:11)。ただし、これを毎年繰り返さなければならなかった。
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