久留米キリスト教会牧師 川端光生 2002年4月
「主を讃え仏に暮れて神に明け」ークリスマス、除夜の鐘、初詣を矛盾なくこなす日本人の無宗教性を皮肉った川柳である。そんな宗教風土の日本で、私は、ユダヤ・キリスト教という一神教の世界観、価値観を受け入れて生活をしている。多神教の民族は寛容であり、一神教の民族は不寛容であって、21世紀の世界の平和のためには日本のような多神教的世界観に立つべきだと、梅原猛さんなどの識者が主張しているが、多神教は彼らが言うほど寛容をわけではない。日本は異質な者や少数者に対して十分排他的である。一神教徒として暮らしてみればわかる。キリスト教が受け入れられるのは、結婚式などに見られる西洋風への憧れと、商売上の利害関係の一致があるときだけだろう。
ところが最近、そんな日本に新たな一神教が進出してきた。イスラムである。大都市にモスクが建ち始め、着実に信者を集めつつあると聞く。昨年のニューヨーク多発テロ事件に際して、テレビでもその存在が取り上げられるようになった。私の住む町でも、一目でそれとわかる格好をした日本人女性をときどき見かける。イスラムの戒律が厳しいとはいえ、この国で好奇の目に耐えて生きるのは容易ではないだろうなと思う。
しかし、イスラムも世界では堂々たる多数派である。近年イスラムの伸張は著しく、勢力が停滞あるいは衰退しているキリスト教に追いつかんばかりの勢いである。その人口は1980年には世界人口の18パーセントであったが、2001年は20パーセント以上になり、このままでいくと、2025年には30パーセントに達するであろうと推測されている(サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』集英社新書・2001年)。アジア、アフリカはもちろん、欧米でも有色人種を中心に急速に広がっている。ハンチントンは、今後の世界において紛争の主な源となり、政治の不安定をもたらすのは、中国の台頭とイスラムの復興であると述べているが、政治の世界だけでなく、宗教的にも最大の脅威になるのはイスラムであろう。
そこで、ユダヤ・キリスト教文化にとって最大の敵となる、これら二つの宗教観および宗教について、簡単に論じたいと思う。すなわち多神教的世界観・宗教多元主義とイスラムである。それは古代イスラエルが直面し、そして現代イスラエルが戦っている相手でもある。まず宗教多元主義から見ていこう。
一、宗教多元主義
◆宗教多元主義は人間至上主義
今、多神教的世界観は、宗教多元主義というかたちで世界のキリスト教会にも浸透している。世界のどの宗教も、それぞれの神々をとおして一つの超越的絶対神を拝んでいるのであって、結局はどの神を信じても救われるという立場である。ユダヤ・キリスト教だけが唯一絶対の神を礼拝しているのではない。すべての宗教が同じ神を礼拝していることになるのだから、自分たちの神だけを絶対視し他者を否定して争うな、というわけである。20世紀にジョン・ヒックというイギリスの神学者が唱えたのだが、日本では別に目新しい宗教理論ではない。聖徳太子以来の伝統的宗教観である。
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