◆「評論家の罠」に陥らないために
マスメディアの発達により、今ではさまざまなニュースが瞬時に伝わるようになりました。その報道を聞いた人々が、それぞれの土台の上に立って、声を荒げて独目の評論を展開しています。自分の培ってきた価値観の中での評論ですから、その意見は実にさまざまです。「アメリカが可哀そう……」と言っていた人が、ブッシュ大統領の言葉を聞いて、瞬時に「アメリカも高慢だからね」と意見を変えることができるのが評論です。評論が評論を呼び、思わぬところで怒りや憎しみが生まれています。
もちろん、評論のすべてが悪いと言っているわけではありません。しかし、その評論が聖書の上に立っているか、愛に根ざしたものであるかを識別することは、非常に大切なことです。何度も申し上げるとおり、誰一人、真っ直ぐな土台を持つ人はいないのです。
では、物事を判断するとき、どこに土台を置けばいいのでしょう。それは神ご自身、そして聖書です。そこには不動の価値観があり、真っ直ぐな土台があります。「評論のための評論」をして、悪魔の罠に落ちないようにしましょう。
◆神の愛によって
次のみことばをもう一度しっかりと噛み締めてみましょう。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」(第1ペテロ4:7-9)。
ここで神は「祈りなさい。そして、何よりもまず、熱心に愛し合いなさい」とおっしゃています。感情を静めることができるのは、神への祈りです。そしてその祈りをとおして、主は、私たちに愛を注ぎ、自分が受けた愛を流すことができる者へと私たちを変えてくださいます。愛がなければ、人に親切にすることはできません。努力という動機では、親切は長続きしません。愛による動機だけが、親切にする心を養い続けるのです。
ブッシュ大統領は今、岐路に立たされ、重大な決断をしなければならなし、立場にあります。彼の決断如何によって、私たちの生きる時代、世界、経済、そして人生そのものに及ぼされる影響が変わってきます。ともすれば、血で血を洗うような戦争の引き金を引くことになるかもしれなし、のです。彼が、アメリカという国に根ざした価値観のみによって何かを決めるのではなく、全能の神の導きを求めることによって物事を判断することができるよう、とりなしの祈りを捧げましょう。
ブッシュ大統領だけではありません。私たちもまた、さまざまな人の発言や行動によって引き起こされた怒りや憎しみに縛られるのではなく、すべての物事に対して、そしてすべての人々に対して、愛を持ってとりなし続けましょう。それこそが、唯一の神を信じるクリスチャンに与えられた、聖なる使命です。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
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