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 「あの人はいったいどうしてこんな考え方をするのかしら」という場面に、何度も直面したことがあると思います。小さなことを例に取るなら、私は未だに、ガムやタバコの包み紙を路上に捨てながら歩く人の気持ちを理解することができません。しかし、それはあくまで私の価値観であって、彼らにとって、それはすでに無意識の領域に達している、当たり前の行動です。

 こんな小さなことにさえ価値観の衝突があるのですから、それが国家や宗教の違いとなった場合、事は深刻です。それぞれが「自分は絶対に正しい」という観点に立って行動し、発言します。しかし、それは必ずしも相手の価値観と一致しませんから、大きな衝突が起こるのも当然と言えるでしょう。

 「正しい自分」を土台としている人は、相手の間違いに対して寛容になることができません。例えば、誰かに道を聞かれたとしましょう。A子さんは、「道を教えてあげること」を良しとし、B男さんはあえて「教えないこと」を良しとしたとします。A子さんはできるだけ人に親切にしたいと考えている人です。自分が道に迷ったとき、丁寧に教えてくれた人の優しさもその考え方に影響しました。では、B男さんは、なぜ、教えないことを良しとしているのでしょうか。それは彼の、「もし自分が教えた道が間違っていて、さらに相手を混乱させてはいけない」という、これもまた親切心から出たことでした。また、自分が道に迷ったとき、誤りを教えられて、大変な苦労を経験したことも影響しました。

 この二人が一緒に歩いている時、道を聞かれたB男さんが、「知りません」とただ一言答えてその場を去る姿を見たA子さんは、「何て思いやりのない人なのかしら……。この人の恋人になるのはごめんだわ」と心の中で思います。しかし、彼が知らないと答えた背景に、どんな経験があったのかは知るよしもありません。特に夫婦の場合、違う価値観を持つ者同士が一つ屋根の下で暮らすのですから、このような衝突が頻繁に起こるのもやむをえません。

◆曲がった土台
 では、第三者である皆さまがA子さんとB男さんを見た場合、どちらが正しく、どちらが間違っていると判断されるでしょうか。「その時々に応じて対応することが望ましい」という意見が圧倒的ではないでしょうか。ですから、このケースの場合、どちらも正しく、どちらも間違っていると言えるでしょう。物事を広く見渡すことができるなら、争わないで済むケースも多々あります。

 しかし、自分がその渦中にあるとき、客観視しようなどという心の余裕はなく、自分の正しさを訴えることで一生懸命になってしまいます。また多くの場合、怒りがそこに伴っていますから、感情のコントロールさえ利かなくなってしまうのです。人間は往々にして、「自分が立っている土台は真っ直ぐで、相手の土台は曲がっている」と思い込んでいます。では、これを神の視線で見るならどうでしょう。驚くべきことに、唯一真っ直ぐであると思っていた自分の土台こそが、実は一番曲がっていることに気付くのです。誰一人真っ直ぐな土台に立っている人はなく、どんなに偉人と言われる人であっても、やはり土台が曲がっていることがあるものです。

 
 
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