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 聖書も同様の手法で書かれています。ユダヤ人なら当然理解している文化的背景については、具体的に細々と書かれていません。そのために、「何を言わんとするか分からない箇所」にしばしばぶつかることになります。あるいは、何の変哲もない一行に、実は深い意味が隠されている場合も多いのです。

 例えば、ルカ伝4章20節に「イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。」と書かれていますが、このたった一行のみことばに、思いがけない深い意味が隠されています。イエスが腰掛けられたこの席は、いまだかつて誰も座ったことのない席でした。なぜ、誰も座ったことがなかったのでしょう。それは、メシアを待ち望むユダヤ人たちが、『メシア専用の席』として、特別に聖別して設けていた座だったからです。無言の行動で、自分がメシアであることを発表された主に、会堂にいる人々の目が釘付けになったのも無理はありません。こうした、ユダヤ人なら当然知っていることが、聖書の行間に隠されています。

 さらに、当時の生活背景に対する私たちの無知が、聖書理解を困難なものにしています。マタイ伝5章13節に、「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」と書かれていますが、いったし、「塩が塩けを失う」ことなどあり得るのでしょうか。この不可解な一文も、当時の生活様式を知ると、簡単に謎を解くことができます。

 当時、塩は3つの形態で販売されていました。お金持ちが買う精製された塩。中流階級の人々が買う岩塩。貧しい人々が買う塩を含んだ泥の固まりの3つです。貧しい人々は、この固まりを食卓の真ん中に置き、浮き上がってきた塩の結晶を摘み取って使っていました。結晶が浮かんでこなくなると、彼らはその泥を外に捨てたのです。これは、当時、日常当たり前のように見られる生活の風景でしたから、イエスがおっしゃる意味を、群衆は容易に理解することができました。

◆西洋化されたキリスト教
 さらに、キリスト教が西洋化されてしまったことで、聖書はさらに難解なものとなってしまいました。パウロが活躍した時代、キリスト教はあくまでユダヤ教の一派と認識されていました。それほど、当時はユダヤの香りを強く放っていたのです。しかし、4世紀に入り、キリスト教がローマ帝国の国教となると、事態は一変しました。西洋の宗教指導者たちは、ユダヤ的な背景を教えの中から故意に切り捨てていったのです。ユダヤ的な要素を切り捨てたために、聖書のみことばを曲解し、あるいは誤解して受け取るようになり、聖書が言わんとする内容とは全く逆の教えがまかり通るようなことまで起こってしまいました。

 レオナルド・ダ・ビンチが描いた『最後の晩餐』の絵をご覧になったことがありますか。横に細長いテーブルの中心にイエスが座り、その左右に弟子たちが一直線に並んで椅子に腰掛けている絵です。あれこそ、この事実を形にしている良い一例です。イエスの時代、人々は床に体を横たえて食事をしました。それを知らなかったレオナルド・ダ・ビンチが、彼の時代を背景に、『最後の晩餐』を描き上げたのです。人は自分の文化や価値観の中で物事を理解しようとします。まして“故意に”ユダヤ的ルーツを切り離してしまったのですから、事態は一層深刻でした。政治組織となった教会が、「免罪符」などという、聖書には全く書かれていないものを堂々と発行するに至ったのもうなずけます。

 

 
 
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