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サラは何とか母となる喜びを得ようとして、女奴隷をアブラハムに与えて子どもを作らせたり、その他さまざまな方法を試みて、その苦しみから逃れようとしました。しかしどんな方法も、結果的にはさらに苦しみを増すだけに終わりました。
二人が年老いてすっかり子どもを諦めた頃、神は彼らに三人の人物を遣わされました。そのうちの一人が「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」と約束しました(創世18:10)。これを聞いたサラは、「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで」と答えて失笑しています(同12節)。思わず笑ってしまうほど、彼らが子どもをもつことは不可能だったのです。しかしこの全く不可能な中から、神は約束どおり、イサクというかけがえのない息子を彼らにお与えになりました。
◆アブラハムの決意
この目に入れても痛くないほど大切なイサクを通して、神はアブラハムを試されました。創世記22章1節から3節を見てみましょう。「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、『アブラハムよ。』と呼びかけられると、彼は、『はい。ここにおります。』と答えた。神は仰せられた。『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。』翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。」
あれほど長い間待ちに待ったイサクを、今度はいけにえとして捧げるようにと神は仰せられました。もし私が同じことを命じられたら、「神さまどうしてですか。私には絶対にそんなことはできません。イサクを殺す位なら、どうか私の命を取ってください・・・・・・。」と、懇願することでしょう。そして何日でもごねてごねて、ごね抜くに違いありません。
しかし、アブラハムは何の口答えもしていません。そして、何とこの命令を受けた翌朝には、イサクを捧げるために旅立って行きました。2節で「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて」と、神自らがおっしゃっているのですから、どれほどアブラハムがイサクを愛していたのかを読み取ることができます。
◆アブラハムの犠牲
しかし、どんなに愛する息子であっても、神が「捧げなさい」とおっしゃるそのおことばに、アブラハムは何の不思議も感じることなく、当然従うべきことと受け止めて、自ら薪を割って、指定された場所へ向かいました。その場所へ到着するまでの3日間を、アブラハムはどんな気持ちで過ごしたでしょう。イサクを授かったときの驚きや、サラと共に手を取り合って誕生を祝ったこと、内側も外側も立派に成長し、人々から愛される青年となったことに対する誇らしさなどが、走馬灯のように思い出されたに違いありません。
しかし、薪を割って家を出発したその瞬間から、アブラハムの心は定まっていました。旅立ちを決意したその時、アブラハムの中でイサクは完全に死んでしまったのです。ですから、いよいよいけにえとして捧げるべく剣を振り上げた時には、彼の心は波一つない湖のように静まっていました。 |