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 ガラテヤ5章19節から21節に、これら肉の行いの特性が挙げられています。「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」また、第一コリント15章50節でも、次のように述べられています。「弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」

 今回のプレイヤーレターのタイトル「クリスチャンに割礼は必要ですか?」に対する答えとして、次のように明言することができます。肉体の割礼は、異邦人クリスチャンにとって勧められるものではありませんし、必要でもありません(ガラテヤ5:2-3)。しかし、より広い霊的な意味において、すべてのクリスチャンが割礼を受ける必琴があるのです。

 人間の生殖器の表皮を切り取る形をとっている「割礼」には、非常に重要な意味が含まれています。神は人間が肉による繁殖をとおして増えるのではなく、霊において増し加えられることを望んでおられるのです。ガラテヤ6章8節には、次のように書かれています。「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

◆肉に死ぬことを望まれる神
 肉のゆえに、人間は神の王国を引き継ぐことができないことを先に学びました。「肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:8)。また、ヨハネ6章63節では、「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」と教えられています。神は私たちが己の肉を捧げることを望んでおられます。古代イスラエルの生け賛には、肉を捧げることを表す、いくつかの象徴的な事柄が含まれてし、ます。幕屋や神殿において神に近づくためには、まず燃える祭壇に面する必要がありました。この祭壇には、いつも動物の屍が捧げられ、燃えて煙が立っていました。これは、神に近づくために、まず肉体が死ななければならないことの象徴です。

 新約聖書には、肉体の死に関する多くの記述があり、これらは割礼のテーマと密接に結びついています。「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(ルカ9:23)。イエスご自身が、人間のために十字架上で肉において永遠に死なれたのです。使徒パウロは、ガラテヤ2章20節で次のように述べています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」また、コロサイ人への手紙2章11節から15節では、十字架の死と割礼の結びつきが明確に述べられています。ローマ6章4節では、洗礼の儀式を、肉体による死を象徴するものだと説いています。神の霊に満たされて歩むこと自体が、肉による死を描いているのです(ガラテヤ5:16)。

 
 
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