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BFPガリラヤ・スタディーセンター前所長 ジム・ゲリッシュ 2001年7月
創世記17章10節から14節で、神はアブラハムに「割礼による契約」を宣言されました。旧約聖書において、割礼はすべての男子に命じられていました。この契約は永続的なものであり、もし割礼を受けないなら、その人物はイスラエルを去らなければなりませんでした。
この永遠の契約である割礼を、未来永劫に渡って守り続けることは、イスラエルにとって大変重要なことです。また、新約聖書に「割礼」という言葉が50箇所以上使われていることから、イスラエル人のみならず、クリスチャンにとっても明らかに大切であることがわかります。今回は古代から続くこの契約の概念について、共に学んでいきましょう。
◆全人格の割礼
割礼の儀式は、肉体に「永遠の識別マーク」を刻むことです。今日でもユダヤ教の信仰に入るとき、男性は割礼を受けることが要求されます。
しかし神は、割礼は単に肉体に印を付けるだけではなく、他にも多くの意味が含まれていることを教えておられます。その第一の箇所が、レビ記26章41節です。ここでは、「無割礼の心」について語っておられます。また申命記10章16節では、「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない」と、民に教えられました。また、申命記30章6節では、「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる」と、心に割礼を受けることで、全人格のすべてを尽くして神を愛することができるようになると教えておられます。また、割礼は心だけでなく、耳(エレミヤ6:10)、唇(出エジプト6:12、30)などの、身体の別の器官にも関わってきます。それゆえ、割礼は単に外面的なものでなく、人間のもっと内面的な要素にも結びつけられているのです。
これらの記述から、割礼は、神がすべての人類に施すことを望まれる、内的な働きの象徴であることがわかります。神は私たちの人生において、肉体、そして肉的な考えを取り除くことを望んでおられます。この古代の象徴である割礼が、発展した形で新約聖書に取り上げられています。コロサイ2章11節では。肉の罪を捨て、キリストをとおして割礼を受けることが教えられています。ピリピ3章3節には、「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです」という、割礼についての最も深い意味合いが込められています。ローマ2章28節では、真の割礼は身体上のものではなく、心と精神に関わるものであることが教えられています。先に取り上げたレビ記と申命記でも、同様のメッセージが語られています。
なぜ神は私たちの肉を取り除くことに熱心であられるのでしょう。神はもともと人間を肉あるものとして創造されたのではなかったでしょうか。血肉こそ、人間存在の自然な状態です。しかし、アダムとエバの堕落以来、肉体は、人間の堕落した罪深い状態を体現するようになりました。肉に妥協するがゆえに犯されるようになった罪については、聖書のあらゆる場所に綴られています。 |