BFP JAPAN 2001年5月
◆マサダの要塞とは
イスラエルで人気ナンバーワンの観光スポット、それが『マサダの要塞です。ここは、直接的には聖書に登場しませんが、ユダヤ人にとって決して忘れることのできない、いにしえの場所です。
マサダは死海から西へ4キロの荒野にそびえ立つ、美しい岩山です。死海よりも約430メートル高く、ケーブルカーか徒歩で登ることができます。紀元前100Nころ、ハスモン家の王アレキサンダー・ヤンナイウスが、自然の地形を利用して初めて要塞を造りました。その後ヘロデ大王が手を加え、冬の宮殿としました。巨大な貯水槽(4万トン)、食糧庫、サウナ設備、西と北の宮殿などが豪華絢燗に建てられ、数百人が3年間住み続けても、底を突くことのない水と食糧が貯えられていました。今なお残されているモザイクや壁画からも、当時の栄華を垣間見ることができます。
もっとも、ユダヤ人にとっては、ヘロデ大王の建築技術の素晴らしさに意味があるのではなく、ローマ軍と最後の戦いをしたという、忘れ得ない歴史の重みがここにあるのです。
◆ローマ軍との戦い
ローマの手ひどい圧政に苦しむユダヤ人は、決起して反乱を起こしましたが、紀元70年、ローマ軍はこれに対抗してエルサレムの攻撃を開始しました。そして、4カ月後の9月26日には、全市がローマ軍の手に落ちました。エルサレムと神殿は完全に破壊され、エルサレム包囲戦だけで約100万人が犠牲となり、イスラエル全土のユダヤ人60万人が奴隷として売られていきました。
そうした中で、エリエゼル・ベン・ヤイール率いる967人の熱心党員は、最後まで諦めることなく戦い続けました。この時彼らが立てこもったのが、マサダの要塞です。当初、ローマ軍は食物や水がなくなり、すぐにでも降参するだろうと考えていましたが、ユダヤ人が出て来るけはいは一向にありませんでした。それもそのはず、要塞の中には、へロデ大王が大量に貯えておいた食物がふんだんにあったのです。食物がすぐに腐ってしまう湿気の多い日本では考えられないことですが、カラカラに乾燥しているマサダでは、貯えられてから何十年も経った穀類や乾物が、そのままの状態で保存されていたのです。
どんなに待っても出て来ないユダヤ人に業を煮やしたローマ軍は、得意の直接攻撃に出ることにしました。マサダヘ登る経路は、『へびの道』と呼ばれるジグザグの細い道しかなく、一列に並んで攻撃に行けば、上で待ち構えているユダヤ人に、将棋倒しの形で追い払われると考えたローマ軍は、「城壁崩し」と呼ばれる兵器を使うことにしました。これは、ちょうど強大なお寺の鐘のようなもので、テコの原理を生かし、大きな丸太で城壁を砕くのです。この「城壁崩し」を設置する坂道を作るために、7ヵ月もの歳月を要しました。しかも、この坂道を作ったのは、他でもない捕虜として捕らえられている同胞のユダヤ人たちだったのです。ローマ軍には城壁の上から弓や石を打てたのですが、ローマ軍に強制労働されている同胞には、どうしても矢を向けることができませんでした。「この矢を打たなければ、自分たちの命がなくなるのだからノノ」と、心を鬼にして懸命に糸を引くのですが、彼らの苦しそうな顔を見ると、上げた手を下ろさざるを得ませんでした。
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