2. ご利益の探求
「イスラエルのために祈りさえすれば、何かよいことが起こる」とばかり、まるでお賽銭を投げ込むような気持ちでイスラエルに心を向ける人がいます。こうした人は往々にして非常に熱心で、一生懸命イスラエルに尽くそうとします。しかし、何か身の回りに悪いことが起こったとき、そのエネルギーが逆行し、がっかりと力を落としてしまいます。そればかりか、「こんなに必死にイスラエルのために祈っているのに、ちっともいいことが起こらない!」と神に怒りさえ感じるようになります。イスラエルのために祈ることは、決してご利益を求めることではありません。「エルサレムの平和のために祈れ。」――これは神のご命令であり、私たちクリスチャンが背負う当然の使命です。
3. アンバランス
すべてのことにはバランスが必要です。大正のリバイバルが消えてしまった大きな原因の一つが、「イスラエルの再建さえ祈っていればよい」という教えでした。この考え方は非常に偏っています。私たちは家庭のために、教会のために、会社のために、日本のために、世界各国のために祈ることを決して忘れてはなりません。健全な家庭生活、教会生活、社会生活があってこそ、イスラエルのために力を尽くすことができます。教会の奉仕をないがしろにして、どうしてイスラエルをとりなすことができるでしょう。悪魔は妄信的にイスラエルに目を向けさせ、他のことを見えなくさせようと画策しているのです。
4. 無関心への移行
上記の要素すべてが合わさって、昭和のリバイバルは消えてしまいました。炎が消えたばかりか、分裂などの深い傷を残す問題が次々と起こりました。そして人々がここから学んだことは、「イスラエル問題は危険だから近寄ってはいけない」という教訓でした。現在でも、イスラエルを盲信するあまり、教会に分裂を起こしてしまう人がいます。こうした人が一人でも現れると、羊を守る立場にある牧師は注意せずにはいられなくなります。イスラエル盲信者によって、「さわらぬ神にたたりなし方式」がますます強くなり、イスラエルがさらに遠くなってしまうのです。
5. 新しいわな
現在、日本でも多くのイスラエル支援団体やメシアニック・ジューの働きが起こされています。これら一つ一つが、尊い神の働きを担っています。必要に応じて病院にいろいろな科があるように、その働きにもさまざまな形があります。それぞれ違いがあるからこそ、お互いが必要なのです。自分たちができないことを他者がしているという事実を謙そんに受け止め、尊敬し、感謝しなければなりません。「私の団体こそより多く貢献している、あるいはより多くイスラエルを愛している」とは決して言えません。また、他者を退けて祝福を得ようと貪欲になる必要はありません。神のふところは非常に大きく、すべての団体を祝福してくださることができるのです。しかし近年、どの団体を支援するかが口論の要因となっていることは非常に悲しいことです。これも悪魔のもう一つのわなと言わざるを得ません。 |