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BFP JAPAN A.T. 2001年1月

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節
 あなたの命そして人生には、どのくらいの価値がありますか。ちなみに、病気や事故など何らかの理由で今私が死んだ場合、生命保険会社から500万円ほどのお金が下りてきます。では、私の命の価格は500万円なのでしょうか。ある人には数億のお金が下りてくるかもしれません。ではその人には数億円の価値があったと評価されるでしょうか。言うまでもなく、財産の大小は人の価値と何ら関わりがありません。しかし、人間関係はお金のある無しで大きく変わってくるものまた事実です。

 では、“何を成し遂げたか”という、人生における実績によってその価値が定められるのでしょうか。人類に貢献する発明をしたり、従業員を何百人も抱えるような大会社を成功させたり、環境問題やボランティア活動に携わって多くの人々を助けたりした人にだけ、価値があるのでしょうか。確かにこれらの要素は評価されるべきことに違いありませんが、神の視点は別のところにあるようです。

◆人間の評価
 人間が人間に認められるためには、行いによって自分をアピールしていかなければなりません。他人より優れたことをすれば、認めてもらうことができます。人は自分の価値に自信を持つことができません。だからこそ、人と比べることで、その位置付けや価値を決めようとするのです。人は一生懸命努力しますが、自分よりさらに努力している人を見て価値観を失ってしまいます。その基準で考えると、神に認められるためには、神よりも優れたことをしなければならないということになります。しかし、どんなに努力したところで、神を超えることなど不可能です。神から見れば、人間は非常に劣ったものでしかありません。

 では、「私の目には、あなたは高価で尊い。」とおっしゃった、“私の目”という神の視点は、私たちのどこを見ているのでしょうか。

◆価値を見出せない苦しみ
 前述のように、人間はどうしても目に見えるものやその実績で人を評価しやすいものです。他人ばかりでなく、自分自身をもその秤ではかり、自己評価を下します。クリスチャンには、この評価に加えて、「聖書的に正しく生きる」という判断基準が加わります。罪に対して非常に敏感になり、罪を犯していると思うときには極端に自己評価が下がり、神の御前に忠実に歩んでいると思えるときには、神をとても近くに感じて自己評価が上がるのです。しかし、この罪を犯さないというハードルは、肉を持つ人間には余りにも高過ぎて、とても毎日超え続けられるものではありません。

 私の恩師が、心の状態をこんなふうに解説してくれました。「ビンの中に水と泥を入れて振ると、真っ黒ににごるでしょう。でも、数時間そのビンを静かに置いたままにしておくと、その泥が下に溜まって水は綺麗になるよね。人の心は正にこんなものなんだよ。」と。

 罪を犯しているときには、ビンが激しく振られて心がにごります。また、罪を犯していないという自信があるときには、ビンの中の泥は下に沈殿し、水が透明になります。真っ黒に濁った水と透明の水との間には、大きな開きがあるように感じるかもしれませんが、しょせんそのビンの中身は同じです。現れてくる現象や状態だけを見詰める人間の心のトリックがそこにあります。

 
 
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