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 とにかく聖めの働きは、第一に私たちの内なる聖霊さまの働きによると言わねばなりません。新約聖書では、いくつかの場面で「聖霊による聖め」という表現が使われています(ローマ15:16、第2テサロニケ2:13、第1ペテロ1:2)。

 第2テサロニケ2章13節で、「神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。」とパウロは語っています。そうです、聖霊にある歩みは聖なる歩みであるべきなのです。

 ご自分の聖なるシオンの丘に神がみこころにかなった王を立てられ、主に贖われた者たちがそこに帰ってくることを私たちはみことばによって知っています。しかし、今の時代はダビデが語った次のことばそのままだといえるでしょう。「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人……」(詩篇15:1-5)

 また、昔、ある説教者が語ったとおりです。「真の宗教とは、神の霊に打たれるとき、あなたがどれほど高く飛び上がるかではなく、地上でいかにまっすぐ歩むかである」

 詩篇24篇3節から4節で、ダビデは再びこの疑問を取り上げています。「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。」

 そうです、聖めや聖さが神から一方的に贈られる賜物であったとしても、この賜物を私たちの人生で現実化するには、私たちの側からも神に協力しなければならないのです。ローマ書12章1節には、私たちの生きた体を神に喜ばれる聖なる捧げものとするべきだと書かれています。

 「聖なる丘」と「聖なる地」は私たちの前に広がっているのです。しかし、約束を受けるためにその地に入るか入らないかは私たちにかかっています。みことばは次の最終選択を私たちに迫っています。「愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」(第2コリント7:1)

 これはすべて、「あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者として」(第1テサロニケ3:13)いただくためなのです。

 
 
 
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