ソドムの罪人たちは、常識では計り知れないほど攻撃的であり、その激しさは、神によって遣わされた天使たちをも襲おうとするほどでした。興味深いことに、この罪人たちは天使から目つぶしをくらってもまだ性的欲望に駆られて、疲れ果てるまでしつこく戸口を探し続けています(創世19:11)。神の御使いたちは、哀れなロトとその家族を守るために戸を固く閉めなければなりませんでした。ソドムの治安は、そのようなひどいものだったのです。
こうしてついにソドムとゴモラの町は神から見捨てられました。この町々は焼き尽くされ、彼らと同じ道を歩もうとする者たち(II
ペテロ2:6)への永遠の警告として、二度と再建されることのない状態にまで滅ぼされました。ソドムとゴモラがたどった道は、神が地上に制定された「オラッカ・ハイーム(いのちに至る道)」に逆行するものです。そのような道を選ぶ人はすべて、次の代に子孫を残すことなく滅びることは、ひとかけらの想像力があれば分かるはずです。
ロトはこのときになって初めて、昔の天幕生活がそう悪くないものであったと悟ったに違いありません。アブラハムの天幕の影には、いつも祝福された安全と平安が宿っていました。時には、天の御使いのような人々がその戸口を訪問することさえありました。しかし今、ロトは四方から脅かされていました。四方八方から不義に取り囲まれて悩まされ、外に出ることさえできません(II
ペテロ2:7)。ロトは再び、アブラハムの信仰ととりなし(創世18:22-23)と、天の軍勢の仲裁によって救われたのです。
◆ 祝福からのろいへの道 −ロトのたどった運命−
今日、私たちの多くがそうであるように、ロトは祝福をのろいに取り替えてしまいました。私たち人間は時として、ほとんど気付かないうちに祝福をのろいに取り替えてしまっているのです。ロトがアブラハムの天幕の陰で過ごしていたときは、あふれるほどの家畜の群れや、召し使いたちと富とに恵まれていました。後に彼が天使たちの助けでようやくソドムの外へ逃げ出したとき、そこには何もありませんでした。ただ疑い深い妻と娘たちがいるだけで、将来への恐れがロトの心をどんどん蝕んでいきました(創世19:19)。娘のむこたちでさえ、歳をとった彼について来ようとはしませんでした。ロトは、神のそば近くを歩んでいたときに所有していた財産のほとんどすべてを失ってしまったのです。
神がくださった相続財産に背を向ける人には、何という問題と困難が待ち受けていることでしょう。アブラハムは、地上のすべての民族に救いと祝福をもたらすために選ばれた人でした(創世12:3)。アブラハムの天幕のそばで焚き火を囲んだ人々の口から、この神の約束が何度も繰り返し話されるのを間違いなくロトも聞いていたはずです。しかし、彼は次第にそのことに注意を払わなくなっていきました。彼は、〈アブラハムと彼の子孫を愛する者が必ず祝福される〉ということについて、完全には理解していなかったのです。そしてこの〈アブラハムを祝福する者が受ける祝福=相続財産〉を自ら捨ててしまう人々には、昔から今も変わらず、必ずのろいが待っています(民数記24:9)。これは個人についても、民族あるいは国全体についても同じように当てはまります。ロトに起こったことがそのまま当てはまるのです。
驚くべきことに、聖書はロトを義人だと書いています(II
ペテロ2:8)。確かに彼は、今日の数少ない義人たちと同じように正しい人でした。しかしそんな彼も「お尻に火がついた」状態でソドムから脱出したのです。彼が信じてきたものはすべて火にのまれてしまいました。 |