BFPガリラヤ・スタディーセンター前所長 ジム・ゲリッシュ 2000年8月
◆社会とキリスト教世界の隔絶
先日、アメリカからエルサレムへ、普通の本とほとんど同じ大きさのノートパソコンを持ち帰りました。この魔法のような道具には、私の研究に関するあらゆること、たとえば論文、何種類もの聖書訳、その他考えられないような数の情報や便利な道具が収められています。また、電子メールとファクスの機能により、かなりの長さの文章をたった30秒で世界中に送ることができます。
その他に、シャツのポケットに入る大きさのディスクを持ち帰りました。このCD-ROMディスクには134,000ページ分の神学的資料が入っています。これは635kg分の本に相当します。私はこうしたことに驚嘆せずにはいられません。知識の目覚ましい発達が私たちの目前で起こっています。これこそまさしくダニエルの預言の成就といえるでしょう。知識は単に増加しているなどというものではなく、恐るべき早さで飛躍しているのです。
再び私の小さなコンピュータに話を戻しましょう。石器時代以降、人類は炭を使ってさまざまなものに何かを書き記してきました。それは時代を通じて発達していきました。エジプト人はそれをパピルスから紙の使用へとさらに向上させました。後には紙とペン、さらにはタイプライターへと発展していきました。ここまではまだ基本的原理に変化はありません。
しかし今、私たちは紙とペンさえ必要としなくなりました。電子化した情報を、衛星を通じて一瞬で世界中に流すことができるのです。また、買い物も家にいながらインターネットで済ませることができるようになりました。「書く」という領域では、基本的な変化がなされましたが、これは進歩の中でほんの一角でしかありません。
この急速な技術的進歩を見るにつけ、キリスト教世界の霊的領域では、ほとんど変化が起こっていないと感じていることに私は問題を覚えます。多くの教会に行って驚くのは、私が子どもだった50年前に聞いたのと同じ話、同じ対応が今も繰り返されていることです。周囲の激しい変化と、私たちとの間にある格差に戸惑いさえ覚えます。
これでは、私たちクリスチャンがしばしば社会から立ち遅れていると感じても不思議はありません。クリスチャンは周りの世界との関係がもはやもてないのではないかと、無力感に打たれても仕方ありません。実際のところ、私たちは宇宙時代の真っただ中で「馬と馬車の信仰」を保持しているかのようです。
しかし勘違いしないでいただきたいのは、私はここで、聖書的信仰と教えに関する教義を守ろうとする姿勢を変えるべきだと言っているのではありません。そうではなく、この基本的真理に対する探求・提示・適用の方法に変化を見いだすべきだと提案しているのです。
|