これら「人が造ったもの」が欲しいという思いや、そのために裂かれる時間と労力は、神と交わる時間を奪うだけでなく、家族からも、また神が与えてくださった召しからも引き離すことになりかねません。クレジットで限度を超えた出費をしたときには、什分の一の捧げものさえためらうかもしれません。もしそうなら、クレジット会社や銀行が、私たちの偶像になっているわけです。給料以上のお金を引き出し、神に捧げる什分の一の献金さえ、「物質」のために使われてしまうのです。こういったジレンマを、経験しなかった人の方が少ないはずです。誘惑に負けて、結果的に財政的危機に陥ることもありうるでしょう。
古代の偶像礼拝について読むとき、小さな石像を拝んでいるわけではないので、自分は偶像礼拝の罪には関係がないと考えがちです。しかし、すべてのものが偶像となりうるのです。そうです、すべてのものが神から私たちを引き離すものになりうるのです。これは人がつくったものに限りません。仕事、家族、教育、成功、また教会の奉仕や神のためにする尊い働きでさえも偶像になりかねないのです。
ひとりひとり静まって、生活の何が偶像になり、神と過ごす時間を奪っているか考えてみる必要があります。正しい優先順位は、神、家族、そして仕事や奉仕です。神は、ご自身を最優先することを強く望んでおられます。神はそうするに値するお方だからです。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:3-6)。「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」(出エジプト34:14)。
エレミヤの時代、神はこう語られました。「人生において、自分勝手な道を選んで進むなら、結果は水のない水ためを掘り、無駄な時間を過ごしているようなものだ」と。気温が高く乾燥している中東において、蛇口をひねれば水が得られるようになったのは最近のことです。昔は水ために貴重な冬の雨をため、そこから1年中使っていました。“水のない水ためを掘る”とは、穴のあいた水道管を自分の家に引いているようなものです。水のない水ためを掘るのも、水を運ぶことのできない水道管を引くのも、どんなに愚かなことかおわかりでしょう。
創造主以外の偶像に従うなら、物理的生活だけでなく、霊的生活も水漏れしたようになり、必要なときに心を一新させる水を得ることができません。なんと恐ろしい状態でしょうか。しかし思い悩む必要はありません。神は、あわれみに満ちたお方だからです。悔い改めて、再び正しい生き方をするなら、冒頭に挙げたみことばにあるように、私たちを助けてくださいます。また、へりくだって主に呼び求めるなら、約束を守り祝福を与えてくださるのです。
偉大なる神に私たちは仕えています。神は豊かな交わりを持ってくださり、神から離れてしまったときでさえ、すぐに赦して私たちの過去を忘れてくださいます。神は私たちの将来を信じておられます。神の求めに従っているかぎり、私たちの道はまっすぐで、水ためにはいつもいのちの水があふれています。
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