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BFP国際総責任者クラレンス・H・ワーグナー・Jr 1999年12月

 イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。」

 この第1列王記8章23節にあるソロモンの祈りを、私はジョギングのたびに口ずさんでいます。賛美といっても、教会で歌うような曲ではなく、私の心にふいに浮かんできたメロディーです。曙の光に照らされるエルサレムを、ギロの丘から見渡しながら、何度も何度もこの歌を歌ったものです。なぜかこの曲が頭から離れませんでした。そして、この歌詞を深く味わうとき、2つのことが心に浮かんできました。

◆「神は誠実で、そしてあわれみ深いお方である。」
 一つ目は、神はまことに誠実であり、喜びをもって契約を守り、自分を低くして御名を呼び求める者にあわれみを示し、彼らを豊かに祝福されるということです。これは主に仕えるあなたに対する、また私に対する約束です。しかし同時に、私たちは生涯における神の召しに応えなければなりません。しかも、心を尽くしてそうしなければなりません。

 これはとても単純なことのようにみえます。しかし旧約聖書全体をとおし、預言者をとおして、神はご自身の民・イスラエルを嘆いておられるということがわかります。彼らは、いつもまわりに住んでいた異教徒たちの神々に目を向けてしまい、神の祝福を逃してきました。

 神はエレミヤをとおして、イスラエルの民にはっきりと勧告しておられます。エレミヤはこう言いました。「しかし、わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだからだ。」(エレミヤ1:16)。また、神は落胆してこう言われました。「わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替えた。わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」(エレミヤ2:11、13)。

 イスラエルの神は、民が神を崇め、拝することに応えて、多くの祝福を約束し、豊かにそれを与えてくださいました。にもかかわらず、選ばれし民は神に背を向け、偶像を拝むようになったのです。エレミヤの時代に、彼らはその蒔いた種を刈り取らなければなりませんでした。彼らが選んだ道は穴だらけだったのです。

 私たちも、のんびりとひじ掛け椅子に座り、古代イスラエルを批評する前に、自分自身の偶像について考えてみる必要があります。バアルやアシュタルテの小さな石像こそ拝んでいませんが、ハイテクの物質主義に満ちた20世紀の西洋文化では、やはり「手で造った像を拝んで」いるのではないでしょうか。私たちは、人のつくったものの奴隷になっています。たとえばステレオ、CD、テレビ、ビデオ、スマートな車、ぜいたくな家、最新のファッション、コンピュータなどです。もっとも、この時代を便利にしたこれらの物質自体が悪いというわけではありません。

 しかし、これらの物質が、生活の一番大切なものになるなら、バランスが崩れます。“これがなければいられない”的な社会に住んでいる私たちは、皆と同じ楽しみが手に入らないというだけで、文句を言っているのではないでしょうか。

 
 
 
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