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Key For The Bible
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 聖書には、主がこの人間の深い必要を豊かに満たしてくださると書かれています。主はイザヤ書44章3節でこう約束されました。「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」救いの経験は、渇いた魂にとって本当の水となります。またさらにそれ以上のものです。神は、私たちがただ飲むだけでなく、私たち自身が水を注ぎ出す者になるように望んでおられます。

◆自分自身の泉をもつこと
 今日、多くの人が主の救いを知った後でも、いただいた水をコップからコップへ、水がめから水がめへ注ぐような生き方をしています。

 コップや水がめの水は、もしもだれかが渇きで死にそうなときには役に立ちます。しかしこのような形で水を与えることは、終わりの日に重大な危険をもたらすのです。預言者アモスは忠告しています。「見よ。その日が来る。─神である主の御告げ。─その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。」(アモス書 8:11)。 そうです。“そのとき”は、霊的な水がめが空になったときに来るのです。男も女も死にそうに渇いたとき、神のことばを求めるのです。しかし不思議なことに、彼らはそれを見出すことができないのです。

 霊的な水を入れておくのに、小さなコップ以外にも方法があります。これを「霊の器‐貯水池型」とでも呼びましょう。エルサレムには、古代からそのまま残っているたくさんの貯水池があります。これら公の貯水池のいくつかは、たくさんの水を貯めておくことができます。たしかにここには水がめやカップよりもたくさんの水を貯めておくことができますが、それでも限界はあります。また、そこには新鮮な水が流入することも、新しく入れ替わることもありません。そのために、暑い夏には間違いなく水は淀み、何カ月も雨が降らないと、干上がってしまうでしょう。またもし、貯水池から水が漏れ出していたら、水は流出するばかりになってしまいます。いにしえの時代、イスラエルの民は神を見捨て、その土地の偶像に走って行きました。主は彼らに言いました。「わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」(エレミヤ2:13)

 主からいただいている水を、ただ貯めて、貯蔵するという考えは自己中心的であり、結局は役に立ちません。これは、神の知識の啓示を受けるばかりで、その水を他の人に分け与えていない人を表しているのです。ごみで汚れ、カエルや虫が住みついている古い貯水池のようなものです。

 また「霊の器‐井戸型」とも呼ぶべきものがあります。これは確かに「霊の器‐貯水池型」よりは良いでしょう。聖書に、私たちの父祖アブラハムも井戸を掘ったと書かれています(創世記 21:32)。イサクもまた井戸を掘りました(創世記26:32)。井戸を掘るには、たくさんの土を取り除き、動かさなければなりません。これは、私たち自身の井戸がきちんと使えるようにするために、どうすればいいのか洞察を与えてくれます。それは、井戸を掘るには、“多くの土”すなわち肉的なものを取り除きさることが大切だということです。イサクは父親がかつて掘った井戸から、障害物を取り除かなければなりませんでした。私たちの井戸も、障害となるものを取り除く必要があるのです。

 
 
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