イスラエルの歴史において、民が荒野をさまよっているとき、モーセはこの特別な場所を明らかにして、こう語りました。「あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。主よ。御住まいのためにあなたがお造りになった場所に。主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に(出エジプト記15:17)。」
その後イスラエルの民は、カナンの地に定住しました。後にダビデはエブス人アラウナから打ち場を買い取りました。ダビデとその家来は、とうとうエブス人から古代のエルサレムの砦を取り戻したのです。この場所こそ、偉大なる主の神殿が築かれた場所です(第2サムエル24:18-25)。ダビデ王は、ここに真なる神の祭壇を築きました。
さらに数年後、ダビデの息子・ソロモン王が、そこに神のための神殿を築きました。建設が終わったとき、神の栄光が下りました(第2歴代誌5:14)。主がソロモンに現れ、こう言われました。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある(第1列王記9:3)。」
聖書全体に渡って、エルサレムと神殿の山に関して多くのことが語られています。この山はとこしえに神が休まれる場所、住まわれるところです(詩篇132:14、9:11)。ここには神の基(もとい)が据えられています(詩篇87:1)。そして神の名がそこに置かれました(第1列王記14:21)。この場所は聖なる山と呼ばれます(ゼカリヤ8:3)。神の御座もそこにあります(エレミヤ3:17)。そして、神はこの山からすべての国を支配されるのです(詩篇2:6-9)。
上記の理由に加え、さらに多くの理由から、主は私たちにエルサレムを祝福するように励ましておられます(詩篇122:6)。エルサレムを忘れず(詩篇137:5)、また、主がこの地を堅く立て、エルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならないとチャレンジされています。
◆神殿の崩壊
聖書の素晴らしい約束を思うとき、神殿が壊されるなどとても考えられないことでした。しかしこの考えられないことが紀元前580年に起こったのです。バビロンがエルサレムを征服し、神殿を破壊しました。多くの住人が連れ去られ、バビロン捕囚の身となって70年ほど過ごしました。エズラとネヘミヤの時代に、何人かの捕囚の民が戻り、神殿を再建することが許されました。しかしその神殿は危険の多い時代に再建されたので、以前ソロモンが建設したときの華麗さはみじんもありませんでした。年老いた人々が新しい神殿を見て、がっかりして涙を流しました(エズラ3:12)。
何世紀も後に、この神殿が改装されました。ヘロデ王と彼の素晴らしい職人たちの手によって修復され、以前の栄華を少しだけ取り戻すことができました。修復作業は紀元前64年まで続きましたが、それは徒労に終わりました。この美しい神殿は、紀元70年にローマ人によって完全に破壊されたのです。それはひとつの石もほかの石に重なって積まれたまま残されることがない、完璧な破壊でした。ここでマタイ伝24章2節にあるイエスの預言がはっきりと成就したのです。
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