BFPガリラヤ・スタディーセンター前所長
ジム・ゲリッシュ 1999年6月
神殿の山(The Temple Mount)は、間違いなく地上におけるもっとも重要な土地です。ケデロンの谷を見渡すこのちいさな土地は、世界が始まる前から、確実に神に選ばれていました。事実、古代ユダヤの伝統によれば、ここで初めの人間・アダムが創造されたといわれています。ヘブライ民族の創始者であるアブラハムが、最初に約束の地へ足を踏み入れたとき、ここにはすでに真の神に使える祭司がいました。その祭司とは、シャレムの王・メルキゼデクです。メルキゼデクという名前は、「義の王」という意味です。彼は、シャレムの王(平和の王)であり、この名は古代エルサレムの呼称のひとつでもありました。
アブラハムは、この神秘的な人物と、その場所の重要性をすぐに把握したにちがいありません。族長であったアブラハムは、彼に10分の1のささげ物を納めました。また、バビロニアの王に大勝利を治めたときも、戦利品の10分の1をささげました。系図が大変重要だったこの時代において、彼が系図をもたなかったことは、アブラハムにとって奇異であったにちがいありません。
後年、ダビデは興味深い指摘によって、これを来るべき救い主の到来にあてはめています。この救い主とは、王でありまた祭司となり、時の始めも終わりもなく、とこしえに「義の王」「平和の王」となられるお方です。ダビデは、「主は誓い、そしてみこころを変えない。『あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。』」と言いました(詩篇110篇4節)。
アブラハムは、自らの息子を神にいけにえとしてささげるように求められました。そこでベエル・シェバからモリヤの地まで3日間旅をし、モリヤの地でいえにえをささげる準備をしました。しかし、主の御使いがその瞬間に現れて、子どもの命を助けました。その日アブラハムは、贖いについて多くを学びました。また「いけにえのための場所」が、どんなに重要なところなのか教えられたのです。聖書にはこう記されています。「そうしてアブラハムは、その場所を、エホバ・イルエ(Jehovahjireh)と名づけた。今日でも『主の山にはそれが見られるであろう。』と言い伝えられている(創世記22:14欽定訳)。」 ユダヤでは、“いけにえの山”は、神殿の山以外のなにものでもないと確信しています。アブラハムは、この山で神が来たるべきいけにえ、救い主をお与えになることを、彼自身の経験において思い描くことが許されました(ヨハネ8章56節)。
何年も後、ヤコブという若者が疲れはて、よろめきながら旅を続けていました。彼は、現在の神殿の山から数キロ北の場所で横になり、岩の上に頭を置きました。そして眠りについたとき、天に向かってはしごがかかっている幻を見たのです。若者は、恐れとおののきで目を覚まし、こう叫びました。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ(創世記28:17)。」 私自身、この丘のまわりを散歩するとき、エルサレムの町と神殿の山の景色が飛び込んできて、ヤコブと同じように身震いするような思いにさせられます。“ほんとうにここは、神の家だ”、“ここは天への門なのだ”という気持ちになります。
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