リチャード・ブリストル(BFPイスラエル支援本部長)
こんにちは!! 日本の皆様、初めまして! 私はリチャード・ブリストルと申します。
ビル・スティーブンス氏の後任として、妻のリサ、16歳になる娘のロザンナと共にイスラエルに移り住んできました。この聖なる都・エルサレムに住み、ユダヤの人々に神の愛を示す働きに召されるなど、思いもよらないことでした。この地で、このすばらしい人々と共に働くことができ、私は敬虔な思いに満たされています。
◆BFPに導かれた経緯
私はアメリカ・コロラド州で、大学教授として昼と夜のクラスで教えていました。愛すべき仕事でしたが、家族との時間がなかなか取れず、また大学でのキリスト教的価値観の希薄さ、また、自分の授業にそれを反映することができない規制に苦しみました。
24年にわたって連れ添ってきた妻のリサは、この状況を覚えて祈りました。「主よ、人はこの世のどこかに、与えられた才能と賜物を用いてあなたに仕えることができる場所があるはずです。どうぞ夫が、あなたに栄光を帰すことができる方法を教えてください。」 それから2週間もしないうちに、クラレンス・ワーグナー師との出会いがあり、何とBFPでボランティアとして仕える道が示されたのです。
人生に働いておられる神の御業には、いまだに驚きを覚えます。いったいなぜ、私をイスラエルに? 私には家と2台の車があり、運転免許を取ったばかりで、高校生活をあと2年残す娘がいました。また、ボランティアをするだけの経済的余裕もありませんでした。私がイスラエルに行くためには、多くの面で、神の御業が必要でした。
それから2カ月もしない8月20日、家が良い値で売れ、車も買い手がつきました。ちょうど大学も休みに入ったところで、教え子たちにも迷惑をかけずに退職することができました。私たち家族は、全員一致でイスラエルへの移住を決断しました。娘は高校で、クラスのトップにいましたが、アメリカでの学業継続を断念しました。神が導かれる道へ進むためです。妻は、16年来の親友と別れを惜しみました。また、あれほど大切にし、作り上げてきた家族の楽園であった家を手放しました。資金繰りなど、かなうはずのない中、神は大いなる方法をもって必要を満たしてくださったのです。
◆戦いの始まり
イスラエルへの到着と共に、霊的攻撃が始まったことをすぐに感じました。妻が足首をくじき、3カ月間、杖を使って歩かなければならなくなりました。言葉の壁という試練にも遭いました。新しい文化に適応する困難も通りました。そんな中、主はご自身の方法をもって、一つ一つの問題に答えてくださいました。リサがねんざした時も、バスの運転手は、バス停ではなく、わざわざ我が家の前で降ろしてくれました。また、ぎゅうぎゅうに込み合っていたバスの中でも、乗客たちは妻に親切に席を譲ってくれました。
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