index_logo
index_visit
KEY FOR THE BIBLE 予告編
australia israel usa canada uk&europe south africa puerto rico australia


 第二次世界大戦から60年目の節目にあたるこの2005年。悲しいことに、沖縄や広島・長崎など、直接的に大きな痛みを被った地域に住んでいる方々は別として、戦争はほとんどの日本人にとって、もはや遠い記憶のかなたに追いやられたかのように、日常生活ではほとんど思い出されなくなってしまいました。

 しかし、今も、生々しい戦争の記憶を抱える、ホロコーストを生き残ったユダヤ人がいます。彼らは60年以上前の記憶を、今も涙を流しながら語るのです。

老い行く証人たち――その現実

  「私たちは缶詰のイワシのようにびっしりと貨物車に押し込まれ、ほとんど無風状態の中、4日間旅をしました。旅の間、周囲を人々に囲まれ、プライバシーも何もない中、ただ立ち続けなければなりませんでした。

 自分の汚物も垂れ流し状態で身体は汚れ、のどの渇きは拷問のようにひどいものでした。立ちっぱなしのため、足がけいれんしても、休ませる余裕など到底ありません。とうとう、貨車は最終目的地のアウシュビッツに着きました。私はたった16歳でした。1週間のうちに、私の人生は、希望と自由から、地獄と孤独へと変わったのです。」(オレグさんの証し)

 「私は60人の親族をホロコーストで失いました。」――へーニャさんは涙ながらに語ります。今日、彼女と夫のサミュエルさんは、ナチスの魔手からは安全です。しかし、政府から支給される年金はあまりにも少なく、雨露をしのぐ家、食べ物、薬など、生活全般の費用をカバーするには十分ではありません。


←食料配達の現場。嬉しそうに食べ物を受け取るユダヤ人の家族

 ポリーナさんは1925年、西ウクライナで生まれました。41年、彼女はナチスによって、他の若者たちとともに、東ウクライナへと送られました。彼女の家族全員が殺されましたが、その事実は、48年になって初めて知ることとなりました。ご主人を亡くされた今、ポリーナさんはたった一人で、身寄りもないまま、わずかな年金だけを頼りに細々と暮らしています。

 ウクライナやロシアのあちこちに、オレグさん、へーニャさん、ポリーナさんのような境遇のユダヤ人がいます。バルという町には、戦争前は7千人のユダヤ人が住んでいましたが、現在は100名足らずです。